どうも鳥井(@hirofumi21)です。
以前もこのブログで紹介したことがある、有料ポッドキャスト番組「藤沢久美の社長Talk – 社長から学ぶ、生き方、働き方 –」。
そのパーソナリティである藤沢久美さんが書かれた書籍「最高のリーダーは何もしない」を読み終えました。
参照:ソフィアバンク藤沢久美が語る、新しい事業の始め方と、グローバル時代に求められるアジア的発想 | 隠居系男子
藤沢久美さんのこの本、とっても良かった!最近自分の中で漠然と思っていたことが、見事に言語化されていた感じ。:最高のリーダーは何もしない丨Kindleストア https://t.co/hS44suFWRf
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年8月27日
いくつも共感した部分はあるのですが、今日はその中から2つのテーマをとりあげてご紹介してみようかと思います。
内向的な人ほど、リーダーになるべき時代。
まず本書のカギとなる主張、「内向的な人ほど、リーダーになるべき時代」とは、どういう意味なのか、本書から少し引用してみたいと思います。
いま起きているリーダーシップの変化について、簡単に触れておきましょう。
リーダーというと、「即断即決・勇猛・大胆」「ついていきたくなるカリスマ性」「頼りになるボス猿」というイメージを持つ方が多いのではないかと思います。
しかし、そうしたリーダー像は、過去のものになりつつあります。 いま最前線で活躍しているリーダーたちは、権限を現場に引き渡し、メンバーたちに支えられることで、組織・チームを勝利へと導いています。
「優秀なリーダーほど『リーダーらしい仕事』を何もしていない」というのは、まさにそういうことなのです。そして同時に、一流のリーダーの多くは、内向的で、心配性で、繊細であるという点でも共通しています。
これは本当に共感できますよね。
従来型の強いリーダーシップを発揮している経営者がドンドン影を潜めていて、若いスタートアップ界隈でも、結果を出している企業ではグイグイ系の人はほとんど見かけなくなりました。皆さん、内向的で繊細な印象な方ばかりです。
なぜ、強いリーダシップが影を潜めるようになったのか?
ではなぜ、各論ごとに強いカリスマ性を発揮するリーダシップが影を潜めるようになったのでしょう?
藤沢久美さんは、それには大きくわけて2つの理由があるといいます。以下引用してみます。
従来の「強いリーダーシップ」が機能不全に陥った原因は、大きく2つあります。
1つは、消費者の価値観やニーズの多様化です。インターネットをはじめとした情報通信の発展によって、かつて知りようがなかった「小さな価値観・ニーズ」が顕在化し、それがダイレクトに企業や組織に伝わるようになりました。 同時に、モノやサービスが充実したことで、量から質へ、「納得できる価値があるもの」へと人々の嗜好が移ってきました。大量生産された商品や画一的なサービスではなく、精神的充足が得られる商品、特別感のあるサービスを求める傾向が強くなってきたのです。
もう1つは、変化のスピードです。各人の嗜好が多様であるだけでなく、その嗜好自体が大変なスピードで移ろいます。「先週喜ばれたものが、今週には陳腐化している」ということも起こる時代になりました。 こうした状況下で、リーダーが自社の商品・サービスのすべてを把握し、それぞれに対して意思決定をしていくのは不可能です。
だからこそ、リーダーは現場に任せて、ビジョンを語るべきであると。
以前書いた下記の記事などで僕が書きたかったのも、まさにこれと同じ話です。
あと、たまたま昨日Twitterで紹介してもらって読んだ、川村元気さんのプロデューサー論にも非常に近い話だなと思いました。
この部分とか、とても共感する。→“「憲法」がしっかりできていれば、撮影現場で生まれるこだわりとか熱とか予想外のこととかはぜんぜんオッケーなんです。あとは編集の場でそれを冷静に見極める。そのためにも僕はあまり現場に行かないんです。”: https://t.co/f5frJ7tf7I
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年8月30日
現場レベルで何が起きていようとも、あまり深入りするべきではない。それよりもリーダーが優先するべきことは、会社組織の「憲法」をつくること。
そして、その憲法が形骸化されてしまわないように、常日頃からその「憲法」の意義を自身の言葉で説いてまわること。そしてそれを社内で徹底させること。
あとは現場レベルでどんな法律が制定されていようと、どんな条文が適用されていようと、そこまで深く首を突っ込まない。
それがこれから求められる内向型でビジョン型のリーダーの役目なのだろうなと思います。
若いメンバーは何に「飢えている」のか?
さて、本書の中でもう一点深く共感したのは、今の若い人々が何に飢えているのかという部分です。
今の若い世代はハングリー精神が失われてしまったとよく揶揄されますが、藤沢久美さんはそれに反論します。
若い世代のハングリー精神は失われたわけではなく、そのハングリー精神が発揮される対象が変わっただけであると主張します。
少し引用してみましょう。
いつの時代も、若者はすべての世代のなかで最も繊細で純粋な精神を持っています。ですから、いまの世の中にいちばん足りていないものに、誰よりも敏感に気づき、最初に声を上げるは、いつも若者です。
第2次世界大戦直後の若者たちが生きた日本には、モノやお金が足りていませんでした。モノやお金にハングリーとなった若者たちは、「物質的な豊かさ」のために、一生懸命働きました。そうした先輩方の努力のおかげで、日本はモノやお金には困らない豊かな国になれたのです。
一方、いまの社会に足りないものは「人と人のつながり」「助け合い」です。若者たちは、目に見えるモノやお金ではなく、人と人とのつながりといった「精神的な豊かさ」に対してハングリーになっているのです。
ですから、彼らからハングリー精神が失われたわけではなく、ハングリー精神が発揮される対象が変わったにすぎません。かつての若者たちが「物質的な豊かさ」を求めたのと同じくらいの渇望感を持って、「精神的な豊かさ」を求めているのです。
いかがでしょうか。このブログをいつも読んでくれている方々は、強く共感してくれるのではないでしょうか。
実際、僕がこのブログや「灯台もと暮らし」を通して出会う若者たちは、本当にこんな感覚を持ち合わせている若者ばかりです。
最近書いた「居場所づくり」に関する記事も、地方に暮らすこんな価値観をもった若い人たちの振る舞いを見て感じたことをもとにして書きました。
参照:これからの事業に求められるのは「人の居場所づくり」。 | 隠居系男子
今の若者は、「経済的な豊かさ」にはそこまで固執しないけれど、「人と人のつながり」「精神的な豊かさ」をめちゃくちゃハングリー。弛まぬ努力をし続けています。
その努力がダイレクトに「経済的な豊かさ」に繋がっていないので、上の世代の人たちからみたら、「え、何やってんの?」って思われるのかもしれませんが、着実に「資産」を積上げているのは間違いありません。
だからこそ、若い人たちには、ぜひこれからも自分の感性に従って愚直にハングリーであって欲しいと、僕は思います。下記の記事でも書いたように。
大学生の感度の高さは尋常じゃないんだから、もっとそれを発信したほうがいいよというお話。 | 隠居系男子
20代で果敢にチャレンジするために「青くさいこと・泥くさいこと・はんかくさいこと」を大事にしたい。 | 隠居系男子
最後に
本書では、上述した内容をもっとわかりやすく理解するために、具体例を交えながら説明してくれています。
今現在、リーダーという立場に置かれている人には、全力でオススメしたい本。気になる方はぜひ手にとってみてください。
それでは今日はこの辺で。
ではでは。