どうも鳥井(@hirofumi21)です。
近頃、外で作業する機会が以前よりも増えてきました。丸一日外だったり、下手をすれば、日にちを跨いで外で作業をしている日もあったりします。
そんな中で最近よく思うことなのですが、「ガジェットのバッテリーと自身の体力の消耗は繋がっているな」と。
ガジェットのバッテリーがなくなってくると、自分の体力も自然と衰えていく、そんな感じです。バッテリーの充電を忘れて家を出た日なんかは、朝から何となく体調がすぐれないということもしばしば…。
今回はこの現象について、自分なりに思うところを少し書いてみようかなと思います。
自分にとって身近な端末ほど、影響が大きい。
この現象は、「手持ちのガジェットであれば何でもそうだ!」というわけではありません。
やはりそのガジェットの位置づけが密接に関係してきます。
個人的には以下の様な3つの条件があるかなと。
- よく使う端末ほど。
- 大きい端末ほど。
- バッテリーが減りやすい端末ほど。
この条件に当てはまる端末ほど、自分の中でモロに影響が出やすいなと思っていて、普段持ち歩いているモノだと、以下の様な順番で体力に影響があるような気がしています。
- MacBook Air(よく使う・大きい・減りやすい)
- iPhone5s(よく使う・減りやすい)
- iPad Air(よく使う・大きい・でも減りにくい)
- Galaxy S4(使う場面が限られている)
バッテリーの減りが体力に影響することは決して悪いことではない。
きっと、ガジェットに限らず、何か道具を使って行う仕事って全部そうだと思います。
使っている道具の劣化によって、必ずパフォーマンスが異なるという。
しかも“高い製品”の“新品”がいいわけではなく、“一番適した製品”の“体に馴染んできた頃合い”が一番ちょうど良いと。
要は身体に近くなればなるほど、良いパフォーマンスを発揮できるということなんでしょう。
学生時代にバスケットボールを長年やってきましたが、やっぱりバッシュも新品のものよりも、自分の足にあったタイプを数ヶ月履き込んで、一番足に馴染んできた頃合いが丁度いい。そこを通りすぎて、ソールがすり減ってきた時なんかは一気にパフォーマンスが落ちるという。
こんなふうに考えてくると、ガジェットのバッテリーの減り具合が体力に影響してしまうことも、決して悪いことではないと思うのです。
それはつまり、身体と同化しつつあるという証拠なわけですから。
ガジェットを体の一部にしつつ、体から切り離す。
ただ、ガジェットの特殊性として、すぐにバッテリーが無くなる、劣化が激しい(バッテリーがない状態に陥りやすい)ということがあります。
だからこそ問題は、「如何にこの特殊性の中で体の一部のように使いこなしつつ、如何に瞬時に体から切り離せるか。」ではないかと。
「予備電源を持ち歩く」とか、「常に充電できる所を探してこまめに充電する」ということも解決の糸口になりそうですが、やはりそれはそれで「バッテリーが無くなる恐怖への執着」となってしまって、あまり精神衛生上よくありません。
一番はいいのは、「すぐにアナログに乗り換えられること」「アナログでできるタスクも常に平行して用意しておくこと」なのではないかなと。ノートにアイディアを書き出したり考えを整理したり、本を読むなど、デジタルと同時並行的に行える作業を複数持ち合わせることだと思います。
最後に
「ガジェットに左右される・インターネットに左右される」といった現象を目の前にすると否応無く「けしからん事」と断定してしまう風潮があります。
これだけ人々の生活の中に急速に、そして当たり前のように溶けこんできた、その“したたかさ”のようなものが、きっと人々にそう思わせるさせるのでしょう。
しかし、それはやはり自分の身体・生活環境の中に馴染んできた証拠でもあって、その事自体は決して悪いことではなく、あくまで現象の1つでしかないわけです。
そこから、自分はどうしていきたいのか。目指す目標の中で何が一番適しているのか、最終的には各人のそういった創意工夫が一番大切になってくるんだと思います。
ガジェットが当たり前となった現代、そこに生きる同じような境遇にある人達に伝わればいいなと思い、今日の記事を書いてみた次第です。
あなたの何かの気付きになれば、幸いです。
それでは今日はこのへんで!
ではではー!
その他この投稿に関連した記事はこちら!
iPad Airが出たからこそ、僕らは今iPadがメインの生活に切り替えるべきだ。 | 隠居系男子
もう年齢じゃない!コミュニティごとに使うガジェットが異なる時代。 | 隠居系男子