どうも鳥井(@hirofumi21)です。
最近、佐々木俊尚さんの「家めしこそ、最高のごちそうである。」を読んでいます。
まだ全て読みきっていないのですが、この本に書いてあったライフスタイルの提案部分がとても面白かったです。
題名とは関係ないのですが、まずはこの本について少し触れたいと思います。「ロリータ」に関しては後半部分でたっぷりと。
今ただ一つ確実なのは、「世の中の不確実で何も予測できない」という真実だけ。
佐々木俊尚さんは本書の中で「いまやただ一つ確実なのは、“世の中の不確実で何も予測できない”という真実だけというすごい状況だ」と書かれています。
まさにこの前自分が書いた「あなたの好き嫌いと「今ムーブメントがどちらに来ているのか」というのは全く別の話。」の中で僕が言いたかったことです。
そして、そんな時代を生き抜くためにも、「人生の機動力を高める」とか、「複数の場所を持つこと」、「身の回りのモノを減らすこと」、「生活をシンプルにすること」を提案していて、このブログでもずっと同じような内容を書き続けてきました。
今求められているライフスタイルとは何か?
ただし、不確実な時代に、徹底的に削ぎ落として不確実な生活をおくってしまったら、僕らは何も依拠できるものが無くなってしまいます。
せめてライフスタイルや、「誰とつながるのか」という人間関係ぐらいはちゃんと構築して良く生きていこうというのが、この本のメッセージであると。
そして、佐々木俊尚さんのソレに対する提案は至ってシンプルで、以下の様なものです。
じゃあどうすればいいのか。かんたんです。着飾らなくてもいいから、日常を大切にすること。日常が誰に見られてもいいように、きちんと生活すること。そして、食生活も同じなんです。
これからは、ハレの日の見えじゃなくて、日常を大事にして、日常を他人に認めてもらう時代。
高いファッションじゃなくて普段着、高級レストランの美食じゃなくて、普段の家庭料理。私達の自己表現はこれからそういうふうになっていくんです。
だからこそ、今求められているのは「家飯」を楽しむというスタンスであり、本書ではここから家飯の話に繋がっていくわけです。
ライフスタイルには思想哲学・信念が必要である。
…で!ですよ。
この佐々木さんの話に「そうだよなー」って賛同しながら、1本ブログを書こうと思っていたわけなんですが、昨日それがすっ飛びました。きっかけは以下の出来事。
彼女たちのオーラがハンパなくて、この場に立ち会えたことだけで大満足。やっぱり日本は面白い!MATCHAやっていて本当に良かった!RT @yuuu_a: ロリータ× りんご飴 × MATCHA @ 代々木公園 (Yoyogi Park) http://t.co/FVse2IfzEU
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2014, 4月 27
りんご飴✖ロリータ❤|青木美沙子オフィシャルブログ「青木美沙子のピンクなラブリー日記」Powered by Ameba
「シンプルに」とか「日常を大切に」とか「一つ一つ丁寧に」とか、いつもの調子で書こうと思っていたのですが、もうそんなのどうだっていい。
昨日「ロリータ」というライフスタイルをまざまざと見せつけられて、「あー、それだけじゃないんだ。」ってガッツリ気付かされました。そんな薄っぺらい話だけで、「ライフスタイルの提案」なんて語ってはいけない。
ライフスタイルというのは、決してそんな生易しいものではなく、一貫した強い意志から、自己が追求する思想や哲学を徹底し、提案し、体現することなんだと。
「変わらないことは、”変わり続ける”ということだけ」という今の世の中だからこそ、何よりもまずは徹底して貫くこと。
装いはもちろんのこと、彼女たちの凛とした姿は、歩き方、しゃべり方、振る舞い一つとっても全てにおいて徹底されていました。
この「ロリータ」を貫く彼女たちのように、不確実で何も予測できない世の中だけれど「私はこの道を信じる。」ということを伝えられるかどうか、それがライフスタイル提案のカギなんだと思います。
彼女たちから放たれる凄まじいオーラを見て、なんだかそんなことを感じ取った土曜の昼下がりでした。
最後に
やっぱり日本という国は、本当に面白いです。
彼女たち「ロリータ」という存在も、言ってしまえばめちゃくちゃドメスティックな存在。
参照:奈良の志賀直哉旧居と、鈴木敏夫✕アイフルホーム大竹会長の対談から考える、日本が進むべき未来とは。 | 隠居系男子
そして、この「ロリータ」というライフスタイルは、日本人女性だからこそ生み出せた、そして貫き通せるスタンスなんだろうなと。
完全に振り切っていると思いますし、他国の人々には絶対に生み出すことができなかった自己表現の一つだと思います。
だからとても不思議なのですが、ポップカルチャー最先端ど真ん中を見ているはずなのに、なぜか歴史モノを見ているような感覚になってしまったんです。
それこそ、『かぐや姫の物語』を見ている時のような感覚に非常に近かったかもしれません。
参照:『かぐや姫の物語』は完璧で美しく、虚しくて残酷な映画。 | 隠居系男子
連綿と受け継がれてきた、日本人女性の意志の強さ。それは時に狂気じみているものでもあると思います。それが、無意識のうちに彼女たちにも引き継がれて、今の時代に対応し、形を変えながら受けつがれているのだろうなぁと。
やっぱり日本人、特に女性の持つポテンシャルというは計り知れないです。
今後もこんな日本文化について、このブログそしてMATCHAでドンドン紹介していきたいと思います。
それでは今日はこのへんで。
ではではー!