『かぐや姫の物語』は完璧で美しく、虚しくて残酷な映画。

かぐや姫の物語

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

昨日、公開初日に『かぐや姫の物語』を観て来ました。

日本最古の物語「竹取物語」を題材にして、高畑勲監督が8年間かけて作り上げた映画。決して大げさではなく、僕にとって人生で一番の映画となりました。

観た方の多くが、「完璧だった」と語るように、本当に嘘偽り無く完璧な作品です。これほどまで「日本の原風景の素晴らしさ」を表現した映画は今までに観たことがありません。

ぜひ、より多くの方に観て欲しいと願うので、今回はなるべくネタバレ無しの方向で書いていこうと思います。

ただ、やはり何も知りたくないという人はこれ以降読まないほうがいいです。

全てが必要な場面であり、その全てに惹きこまれ、一瞬で終わっていく。

前回の記事「switchジブリ特集 西村義明✕川上量生対談「狂気の沙汰ですけど、『かぐや姫の物語』で姫の疾走するシーン、あれは全て水彩画。」」でも書きましたが、川上量生さんが言うとおり、この映画は「完成度が滅茶苦茶高くて、完璧な映画」だと思います。

実際に観て納得しましたが、不要なシーンが全くないんです。2時間17分という長さなので、結構覚悟して観始めたのにも関わらず、気付いたら一瞬にして終わっていました。

思い返してみると、物語は本当にシンプル。そこには何も脚色されていません。皆さんが知っている「かぐや姫」そのままです。

ストーリー的な技巧は何一つない。それなのにこの時間的な長さ、それなのに、この感覚的な短さ。高畑マジックとはまさにこのことかと…。

この世のものとは思えないほどの美しさと、決して抗うことの出来ない残酷さ。

この作品の中で僕が一番印象に残っているのは、月からお迎えがやってきて、姫が月に帰っていくシーン。

空想上の物語であるはずなのに、そこで表現されているものは“現実”そのもの。

そこに在るのは、「この世のものとは思えないほどの美しさと、抗うことの出来ない残酷さ」だけです。

このシーンに差し掛かった瞬間、涙がボロボロと零れ落ちてきました。しかし、何か特別な感情があるかといえば何もなく、目の前の現実をただ受け入れるしかないという“虚しさ”のみです。

「天人の音楽」

このお迎えのシーンで流れる『天人の音楽』という楽曲があります。『かぐや姫の物語』のサントラにも含まれていますが、映画を見る前には絶対に聴かないでください。

でもきっと、映画を観終わったら聴き返したくなるはずです。この音楽がまさに『かぐや姫の物語』の世界観を全て表現しているといっても過言ではない。

これほどまでに明るく透明感がありながらも、すべてを無にしてしまうその残酷さは、他の映画音楽には絶対にあり得なかった。僕はそう思います。

かぐや姫の物語 サウンドトラック iTunes

日本の歴史に名を残し、今日性に溢れた作品。それが『かぐや姫の物語』

『かぐや姫の物語』中間報告会見で、プロデューサーの西村義明さんがこんな話をしていました。

記者:2013年にこの映画が出てくるある種の今日性というか、今出てくる映画としての“何か”を感じているか。プロデューサーとしての考えを教えて下さい。

西村:今日性ということですけど、高畑さんはご自身で「この映画は今日的だ」という発言をする方じゃないので、それはご自身で書かれた文章に「全く今日的ではない」と書かれているのかもしれません。

「じゃあなぜ、平安時代のかぐや姫なのか。」これはご自身で言っていました。「あの平安時代に現代の子を放り込んだら、彼女はどう反応するだろうか?」それは、現代の子っていうのは高畑さんが思う現代の女性であり、現代の少女であると思うんですよ、その子が反応する一つ一つの感情、思いとかっていうのは明らかに現代を反映しているとは思うんです。

もう一個付け加えるならば、地井さん(翁役:地井武男さん)が初めて高畑さんと顔合わせをした時に、真っ先に言った一言がありまして、「高畑監督、これは地球を否定する映画ですか?」と。その時代でそれこそ2011年の3月震災があって原発事故があって、その流れで地井さんはもしかしたら何かをおもわれていたのかもしれません。

その質問を受けて高畑さんは「地井さん違います」と。「この映画は全く逆のことをやろうとしているんだ」と。

よく仲間内で話しているんですけれど、宮﨑駿監督は『風立ちぬ』で少年が大空に憧れた映画を作ったんですよね。『かぐや姫』というのは高畑さんが少女が大地に憧れた映画をつくったんですよ。

全く対照的なふたつの物語を使いながら、実はふたりがやろうとしていることは、もしかしたらおなじなのかもしれないなと、僕は現場で思っています。

既に多くの方が語っています、この映画は「歴史に残る映画だ」と。

それは『竹取物語』を題材にしたことだけに留まらず、アニメの技法・脚本・音楽、映画を作る全ての要素において、そう言われる要因があるのだと思います。

「100年後でもこの映画は見る価値のある映画として、この国に残っている。」それは間違いないでしょう。

でも、だからこそ僕は、この映画にはとてつもなく”今日性”があると思っています。

その2つが同時に共存しているからこそ、遠い未来に残る作品となりうるはずだし、現代の人たちからも「そういう作品となっていって欲しい!」と願われる力があるのだと、僕は思うんです。

最後に

2013年、この年が転機になったという人は、これからたくさん増えるはずです。

『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』この2作品に背中を押されたという人々がどんどん出てくると思います。

この2つの映画に込められているメッセージを、何気なく時代の気運として感じ取ってきた人たちの中で、この二作品がその決定打となるはずです。

実際に僕が最近書いた記事「真のグローバル化とは、徹底的に日本の原風景を理解すること。」ここで言及したことのすべてにおいて、その答えが今回の映画には描かれていました。

・・・ただ、そう考えてくると、この2作品を同時公開しようとした鈴木敏夫さんの天賦の才、時代を掴むセンスというのは、尊敬を通り越して、もはや恐ろしいものがあるなと…。

この話はまた今度、別の機会にゆっくりと。

なにはともあれ、『かぐや姫の物語』絶対に観て後悔のない映画だと思います!是非劇場に足を運んでみてください!

それでは今日はこのへんで!

ではではー!

鳥井弘文

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