どうも鳥井(@hirofumi21)です。
先日、松浦弥太郎さんの「もし僕がいま25歳なら、こんな50のやりたいことがある。」という本を読みました。
とても良い本なので、いま25歳前後だという方にはぜひ読んでみて欲しいです。
会社員の方でも、フリーランスの方でも、参考になる部分が必ずある本だと思います。どちらの立場も経験している松浦さんだからこそ、このような本が書けるのだろうなと。
今年の4月から新社会人だという方には、岩瀬大輔さんの「入社1年目の教科書」と一緒に読むことをオススメします。
さて今日は、この書籍の中に書かれていた「21/50 決して争わない」という章の中から、このブログの読者の方にもご紹介しておきたい部分があったので、少し引用させてもらおうと思います。
「批判的な意見は、だいたい100パーセント当たっている。」
敵と味方というとおおげさですが、自分とは反対意見の人は必ず存在します。彼らが自分に対してもっている意見は、ほぼまちがいなく当たっていると覚えておいたほうがいい。
逆に、味方の意見はだいたい正しくないのです。敵は思いもよらない角度から僕を具体的に分析しているしドライに見ています。耳に痛い批判や意見こそ、真実であり、当たっているものです。
たとえば誰かのブログで、「松浦さんの、ここがきらい」と書かれていれば、だいたい100パーセント当たっています。自分からあえて批判を探すようなことはしませんが、目にふれることがあれば、「これは正しい指摘。発見だ!」と受けとめて、ありがたいものだと感謝します。
もちろん人間ですから、落ちこんだり、がっくりすることもありますが、わるく言ってくれる人がいるということは、逆にほめてくれる人もいるのだと、考えるように努めます。それに、誰にも関心ももたれず、なにも言われないほうが寂しい、という気もするのです。
さて、この部分を読んでみて、皆さんはどう思うでしょうか?
僕は松浦さんの意見に賛成です。
特に「自分とは反対意見の人は必ず存在します。彼らが自分に対してもっている意見は、ほぼまちがいなく当たっていると覚えておいたほうがいい。逆に、味方の意見はだいたい正しくないのです。」という部分は本当にその通りだなと思います。
「批判的な意見は無視するのが一番!」は本当か。
今のウェブ上では、批判的な意見を見つけたときの心構えは、声が大きい人たちの主張する「無視するのが一番!」という意見が正論のようになっています。
しかし、僕はあまりそうは思いません。
もちろん、取るに足らない意見というのも多数存在することは間違いないですが、大体目に入ってくる批判というのは当たっています。
当たっているからこそ、自分の目に入ってくるんです。当たっていない批判はそもそも、自分の目に入ってきませんからね。
ついつい読んでしまうような批判を書いてくれる人というのは、本当にドライに、冷静に分析してくれていることが多いので、「これは自分でも気が付かなかった!」と思うような意見を投げかけてくれているものです。
批判的な意見を無視し続けて書くことの方が、よっぽど怖いこと。
誰かから批判されることが怖くて、自分の思ったように表現できなくなる事は確かに良くないことだと思います。
しかし、どんなに批判をされてもそれらをひたすら無視し続けて、自分の取り巻きが「そうだそうだ!」と援護してくれる中で、その声に煽られて表現し続けることのほうが、よっぽど怖いことだと僕は思います。
松浦さんは本書の中で、「批判も賞賛も、結局のところ両者はプラマイゼロなんだ」とも書かれています。
僕もそうだと思います。だからこそ、何かを表現する際には、下記の記事にも書いた通り、他者の意見に惑わされる事なく、なりたい自分に書かせることが一番大切なのではないかと思うわけです。
参照:ブログやSNSでネガティブなことも書いたっていい。大切なのは「自分は何をもって覚えられたいのか」ということ。 | 隠居系男子
そして、表現してみた結果寄せられた批判に対しては、ちゃんと真摯に向き合ってみる。
向き合った上で、そのどちらの声にも左右されることなくプラマイゼロに戻って、また改めて「なりたい自分に書かせてみる」ということが一番良い方法だと思います。
最後に
「批判的な意見は無視しろ!」という言説が当たり前となっている今のウェブ界隈において、松浦さんが提唱するこのような考え方は、意外と大切なのではないかと思い、今回このブログでご紹介させてもらいました。
今日ご紹介した内容は、50個書かれているうちの1つで、それ以外にも参考になることがたくさん書かれています。
興味がある方はぜひ本書を手にとってみてください。
それでは今日はこの辺で。
ではではー!