最近の仮想通貨の高騰をみるたびに「バブルとはなんなのか?」について考えさせられます。
そんなことを自分の頭の中でグルグルとさせていたときに、滋賀県長浜市でおもしろい話を聞きました。
今日はこの話から得られた気付きを少しだけ書き残しておこうと思います。
個人が集落のお寺に1000万円寄付する時代があった。
滋賀県長浜市にも、バブルの時代にお金を稼いだ人たちは多かったそうです。
そんなバブルで儲かった人たちが集落のお寺に個人で1000万円を寄付したり、有志が集まって多額のお金を出し合いながら、町のシンボルとなっている古い建物を蘇らせたり、そんなお金の使い方が当たり前のように行われていたそうな。
そして、地元の若い人たちはこの話を僕たちに語りながら、「今の自分たちにはそんなお金の使い方はできないけれど、当時の人たちのそんなお金の使い方には感謝している」仰っていました。
なぜなら、彼らのおかげで今でもその土地にしっかりと“ソレ”が残っているから。
もちろん、バブルが終わり、堅実に生きようとする世代がその意志を受け継ぎ、しっかりと守ってきたことも功を奏している。
そうやって連綿と受け継がれてきたからこそ、今があるのだと仰っていました。
お金自体は無色透明。大切なことは、何に使うのか?
この話を聞いたときに、僕はものすごくハッとしたんです。
バブルやあぶく銭、それ自体は決して悪いことではないのだと。
お金自体はいつだって無色透明です。
結局は、「何に使うのか?」に尽きるのだと思います。
参照:若いうちに貯めておくのは「共感」であって「お金」ではない。 | 隠居系男子
長い歴史の中で、今の時代を生きる自分(たち)ができること。
その立ち位置をしっかりと意識しながら、縦の系譜を受け継ぎ次世代に残していく、そんな意識を持てるかどうか。
あぶく銭を大胆に使う姿勢も、堅実に守りぬく姿勢も、どちらも同じぐらい尊いことであり、そこに優劣は存在しないのだと思います。
最後に
そして今また、仮想通貨の世界でバブルが起きようとしています。
自分たちの立ち位置を理解しつつ、しっかりと次世代に残せるかどうか?その使い方が問われる時代にまた突入してきたんだろうなと。
今日の話が、いつもこのブログを読んでくださっている方々の何かしらの参考になれば幸いです。