今朝こんなツイートをしてみました。
自分が何に対してだったら「矢面に立つ勇気」を持つことができるのか、それを見つけることができると、人生はより楽しくなる。ヒト・モノ・コト何でもいい。挫けそうになったときも「◯◯のためだったら」って思えるものがあると、人は強くなる。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月7日
ヒラクさんだったら菌だし、伊佐だったら旅だし、僕だったらWaseiに携わってくれる人々。そのためであれば、普段は億劫がって絶対にやらないようなことでも、一歩前に踏み出そうと思えるから、やっぱり「矢面に立つ勇気」の効力はすごい。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月7日
関連記事:矢面に立つ勇気。 | 隠居系男子
ヒラクさんとのリプライのやりとりも。
ホントそうなんですよね。何かを背負い込むことって一般的にはネガティブなイメージありますけど、自ら進んで背負ってしまえば、実はちょうどいい重しになったりするんですよね。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月7日
うわあ、めちゃくちゃわかります!それはこれからとても大切になってくる視点ですよね。きっと多くのひとたちはそれを見つけることができず、でも自由すぎるフワフワもあまりに辛いから、宗教のようなものにその「ちょうどいい重み」を求めていくようになるんでしょうね。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月7日
「自由過ぎることの辛さ」を主張するひとたちが増えてきた。
最近、少しずつですが「自由過ぎることの辛さ」を訴えるひとたちが増えてきた印象です。
先日の大阪デジハリイベントでも、上記のヒラクさんとのやりとりに近い話をさせてもらったのですが、この話が一番刺さっていた気がします。
また、1年半前に書いたこのブログも徐々に理解してもらえる機会も増えてきました。
一年半前にこの記事を書いたときは、結構キョトンとされることが多くて寂しかったんだけど、最近この話をすると理解してくれる人が増えてきたからちょっと嬉しい。:今なぜ最初からパートナーが決まっている物語が持て囃されているのか? | 隠居系男子 https://t.co/as5OdhT3ME
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年5月30日
自分にとって「ちょうどいい重し」とは何なのか?
きっと、これからの僕らの課題は自由すぎるがゆえの「ちょうどいい重し」探しということなのかもしれません。
じゃあ、どうやったらソレを見つけることができるのか?
僕にもまだサッパリわかりません。
僕個人としては、他人の居場所づくりに躍起になっていたら、自分にとっての居場所や「矢面に立つ勇気」が自然と定まっていたという感覚です。
参照:ファンづくりよりも、コミュニティづくりが向いているひと。 | 隠居系男子
最後に
ただ、もし今このタイミングで一つだけ仮説をあげておくとすれば、他者が目指す基準や他者からの評価に逃げないこと、それがとっても大切なことのような気がしています。
どれだけ辛くても、自分の納得感を第一優先していく。
参照:自分の納得感を一番大切にしているひとを応援したい。 | 隠居系男子
全くまとまらない内容でしたが、今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても何かしらの参考になれば幸いです。
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