最近よく思うんです。
これだけすべてのモノがアマゾン化・アンビエント化してくると、残酷だけど、自分のアイデンティティだと信じていたものが、実はそうではなかったと気づく瞬間が必ず訪れるなと。
たとえば、多くの昭和生まれ世代の人たちにとって、遅かれ早かれ「音楽」と「ファッション」はそう思わされる対象だったんじゃないのかなと。
UNIQLOやH&Mのようなファストファッションの普及や、最近だとZOZOスーツの登場、AppleMusicやSpotifyのような定額サービスの進化によって、ここ十数年で「ファッション」と「音楽」はどちらも、アマゾン化とアンビエント化が急速に進んだ代表格です。
僕自身も、10代の頃は自分は音楽が好きだと勝手に思い込んで、MDに自分の好きな曲を詰め込んで、一文字ずつタイトルを打ち込んでいた時期もありました。
しかし、iPodが登場し、それがiPhoneに統合されて、これだけ音楽がアンビエント化してくると、自分のアイデンティティに紐付いているなんて、到底言えません。
だって、全力でラクしてしまっているから。
「それでも、自分はここを耕し続けるのか?」
そう考えたときに、「それでも、自分はここを耕し続けるのか?」って考えると、何か見えてくるものがあるのかもと思ったんです。
どれだけ便利になっていったとしても、時間を忘れてディグり続けられるものは何なのか。
それすなわち「努力の娯楽化」にもつながるわけですから。
参照:倫理観と誠実さを持ち合わせ、人柄が良くセンスあるヤツが勝つ時代。 | 隠居系男子
以前書いた、「生産性向上」のお話にも近いかもしれません。
参照:地域へ移住する人にも意識して欲しい「生産性」の話。 | 隠居系男子
どれだけアマゾン化しても、アンビエント化したとしても、その分野で亀のようにクリエイティブし続けたいと思えるものは何なのか。
最後に
本当に好きなものに気づくための手段として、この少し極端な未来を想像してみるという方法は結構有益なのかもしれないと思い、今日のブログに書いてみました。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって、この方法が何かしらの参考になれば幸いです。