今朝こんなツイートをしてみました。
「商品の質が高い」の“質”ってなんだろう…?最近の若い人たちにとって、どれだけ物自体の質が高くても、その生産背景やエンドユーザーに届くまでの過程のどこかに搾取構造があれば、それは「商品の質が高いとは言えない」に変わってきているような気がします。:UMS主義者 https://t.co/SaXaFybl47
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月13日
商品それ自体の質はもちろんのこと、その製品ができるまでの過程や、そこに携わっているひとたちの納得感や満足感が満たされてこそ、質が高いということである、という認識に変わってきているんじゃないだろうか…?消費者である自分だけが納得感や満足感があればそれでいい、ではなくなってきている。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月13日
この本当の意味での「質の高さ」を、本気で追求しているのが、イケウチオーガニックさんや群言堂さんや、坂ノ途中さん。だから僕はこの3社を全力で応援したいと思っているし、この価値観がゆるやかに広がっていくことを願っています。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月13日
後ろめたさをなくすこと。
自分の場合、たとえ契約社員だろうがアルバイトだろうが、もし自社の看板のもとで働いてくれているひとが一人でもうつ病になったら、どれだけ結果が出ていようとも、やっぱりどこか後ろめたさが残ってしまうと思います…。
だからこそ、自分が消費者側に立つときは、末端で働いているひとであっても、彼ら・彼女らが心底楽しそうかどうか、それを判断した上で初めて「質が高いね!」って称賛したい。
そんな後ろめたさを極力排除した上で、全力で応援させて欲しいなと願います。
最後に
やっぱり最後はひとで、どれだけ関わっているひとたちを大切にできるか。
参照:経営者にとっていちばん大切なのは、顧客ではなく社員である。 | 隠居系男子
「社会全体で富の総量を増やし、それを再配分していくことで、世界が平和になる。」ということが、もう机上の空論であったということがわかってしまった以上、多少の犠牲をはらんだとしても果敢に挑戦していくという姿勢はやっぱりどこか違和感が残るなと…。
それよりも、各人が当事者意識を持って、それぞれ隣のひとを全力で幸せにしていく、結局それが遠回りのようで一番の近道なんだと思います。
参照:「暮らし」というテーマに人生を賭けることの意味。 | 隠居系男子
どれだけきれいごとだと言われようとも、僕はそんな世界の実現に向けて本気で取り組んでいるひとたちに、真正面からエールを贈りたいです。