昨夜は、ライブ配信企画『あっ、なんの話だっけ?』の最終回を配信しました。
参照:3月28日(木)ライブ配信企画「あっ、なんの話だっけ?」最終回「断つ/卒業する」を配信します。 | 隠居系男子
その中で、ハッとした「昭和生まれが考える一貫性と、平成生まれが考える一貫性」について、今日は少しだけこのブログにも書き残しておこうかと思います。
そもそも「継続すること」その意味の捉え方が異なる。
最近、僕よりも若い世代の起業家や、個人で活躍している方々を観ていると頻繁に思うことがあるんです。
それがこのお話。
鳥井さんの話
自分たちの世代くらいまでは、継続性があれば同じことをやっていると言う感覚。今の若い人たちは世の中対してやりたいことがあってアプローチ方法や手段は様々でどんどん変わる。でも根本の価値観は変わっていない
配信はこちらで👇
https://t.co/0vBoNUQQSO— 若月 翼 / Player!🐺 (@wakatsubasa) 2019年3月28日
そもそも、平成生まれの若い世代は、僕ら昭和世代と「継続すること」それ自体の捉え方が異なる気がしていて。
客観的な一貫性でなく、主観的な一貫性の方を大切にしているように見えるのです。
僕ら昭和世代は、「そこに一貫性があるかどうか?」を判断するとき、外形的な要素で判断していて、たとえば同じ職業かどうか?同じ組織に属して、同じ事業を続けているかどうか?そこで一貫性を判断していることが多いです。
でも、今の若い世代は、たとえ職業や事業において一貫性がなくても、自分の中の「こんな風に在りたい」という個人のビジョンやミッションに忠実であれば、そこに一貫性があると判断する。
むしろ、たとえ外形的に一貫性があったとしても、主観的に一貫性がなければ、それは継続しているとは言えないし、積み重ねているという感覚もないと判断しているように見えるんですよね。
つまり、まわりの声ではなく、自分の心の声に敏感なんだと思います。
参照:まわりの声に「鈍感」で、自分の心の声に「敏感」になったほうが、他者とつながり共創できる時代。 | 隠居系男子
自分の気持ちに嘘をつかないことのほうが大切で、規模拡大や時間経過とともに、貫き通せなくなってしまう主観や価値観があることに対して、既に直感的に気づいてしまっているのだろうなあと。
最後に
改めて、いまこのタイミングで「継続すること」の意味について考えることができて、本当に良かったと思います。
昨日は、他にも「断つ/卒業する」について様々な角度からお話してみました。
後半では「平成を卒業する」というテーマで、平成という時代についても振り返っています。
もしご興味がある方がいれば、ぜひ観てみていただけると嬉しいです。
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改めまして、今回のライブ配信企画の個人スポンサーになってくださった皆さんには、心からお礼を言いたいです。本当にどうもありがとうございました!
いつになるかはわかりませんが、もしチャンスがあれば、またこのメンバーでみなさんにお会いできるのを楽しみにしています!