いま目の前にいるお客さんが何に付加価値を感じているのか?

今朝こんな記事を読みまして。


欲しくもない付加価値がたくさんついてしまっているから、誰も買わない。

そして、この話は逆も然りだと思います。

自分たちが提供している価値が何も変わっていないとしても、お客さんがもうそこに何も付加価値を感じていないのであれば、同じ値段で提供し続けていても、誰も見向きもしてくれません。

「ほしいものが、ほしいわ。」という名コピーをつくったのは糸井重里さんですが、本当は欲しいと思っているのに、欲しくもない付加価値がたくさんついてしまっているために誰も買わないというモノが、いまの世の中には多すぎる気がします。

温泉旅館の豪華過ぎる懐石料理問題。

たとえば、温泉旅館の豪華過ぎる懐石料理なんかがまさにそう。

以前何かの本で読んだのですが、あの温泉旅館の肉あり魚ありの豪華過ぎる懐石料理は、蛍光文字が所狭しと並んでいるような旅行雑誌やテレビの旅番組などで紹介された時に、他の旅館の料理に見劣りしないようにするためにドンドン豪華になっていったそうなんです。

でも、いまの若い人たちはそういった従来のメディアで行きたい温泉旅館を選んでいません。自分のSNSのタイムラインに流れてくる情報をもとに、行きたい場所を探しているわけです。

つまり、その豪華過ぎる懐石料理には何の付加価値も感じていない。

それよりも、ちゃんと美味しいものを、ちゃんと適切な量だけ食べたいと思っているはずです。

余白があるほうが、今はメディア映えする。

「でも、そんなことをしたらメディア映えしなくなってしまうじゃないか…?」

そう思う方もいるかもしれないですが、今だったら、InstagramやTwitterのタイムラインに流れてきた時に「おっ!」って思うのは、間違いなく器やテーブルに余白があるほう、です。

ガストロノミーなどが流行っている理由もきっとそれが一因。

にも関わらず、何の変哲もない豪華すぎる懐石料理を出し続けて「こんなにも付加価値を提供しているのに、お客さんが来てくれない…!」と嘆くのは結局のところ怠慢でしかないんだと思います。

最後に

美容室の値段改定のインタビューの話から、なぜか温泉旅館の懐石料理の話まで飛躍してしまいましたが、とにかく今日書きたかったことは「今の時代を生きるお客さんが何に付加価値を感じているのか?」それをしっかりと分析しないといけないよね、ということです。

キングコング西野さんのブログにも書かれているように、従来であれば“労働”と呼ばれるような行動であっても、お客さんにとってそこに付加価値があると実感すれば、お金を払ってでもやりたい!と思ってもらえるわけです。

参照:キングコング 西野 公式ブログ – みんなで作る – Powered by LINE

従来の当たり前を疑って、いま目の前にいるお客さんが何を求めているのか、それをつぶさに観察していきながら適正価格を決めていく。そんな姿勢が今求められているような気がしています。

皆さんの何かしらの参考になれば幸いです。

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