先週末、こんなツイートをしてみました。
言葉が軽いなあと感じる人と、言葉に重みを感じる人、その違いについて最近ずっと考えていたのだけれど、やっぱり「思考の粘り強さ」にその違いがあるのかもしれない。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年3月1日
全く同じことを言っていたとしても、前者はそれらしい解に辿り着いた瞬間に思考停止して、その解 だけを発信し続ける。一方後者は、それでもなお「違うかもしれない、もっと良い方法があるかもしれない」と様々な角度から自己検証をし続けて、考えることをやめない。この違いが言葉に重みを生むんだ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年3月1日
「誰かから聞いたことをそのまま言っている」状態だけが言葉の軽さを生むのではない。
僕はずっと「誰かから聞いたことをそのまま言っている」状態、それが言葉の軽さを生んでいると思っていました。
でも以下のツイートでも書いたように、どうやらそうではなさそうなんです。
そうそう、僕もずっと「誰かから聞いたことをそのまま言っているかどうか」だと思っていたのですが、どうやらそれだけじゃなのかもしれないと思ってきて…。自分で辿り着いた答えにも関わらず、なんだか薄っぺらさ感じるときは、大抵辿り着いた答え以上、考えることを辞めてしまったひとなんですよね。 https://t.co/V3LoqMxVGh
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年3月1日
明らかに、そのひとが自分自身で考えて試行錯誤して辿り着いた結論のはずなのに、それでも軽さを感じるときがある。
もしかしたら、それは「話聞いてもらえるおじさん」の姿にも近いのかもしれません。
参照:東大生がバイトするなら、家庭教師よりもスタバのほうがいい理由。 | 隠居系男子
検索に引っかかったものを、ちゃんと検品する。
じゃあ、どうすればいいのか?
まず、飛んできた質問に対して、自分の頭の中で検索をかける。
そのときに「あっ、そうそう、これこれ!」と検索に引っかかったものを、そのまま相手に提示するわけではなく、引き出そうとしているものをちゃんと「検品」するようなイメージです。
参照:僕がイベントやインタビューでお話する時に大切にしている3つのこと。 | 隠居系男子
「いま目の前にいる相手に、これを出すことが本当に正解なんだろうか?この答えを導き出したときは、そうだったかもしれないけれど、今はもう違うかもしれない。」
そうやって、人前に出す前にしっかりと検品すること。
もし違和感を感じた場合は、絶対に相手には提示しない。
自分の頭の中で考えを深めた当時と、今とでは全く結論が変わっている可能性だって十分にあり得るわけですから。
それは世の中の流れもそうですし、自分の中の価値観だってそう。
大切なことは、過去に導き出した答えに安住しないこと。
粘り強くアップデートし続ける意識を持つことなのだと思います。
最後に
自分自身の感情に嘘をついていないか?
そこに後ろめたさがないかどうか?
それを常に問い続けること。今の僕はそう思っています。
いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても、自身の考えを他者に伝えるときの何かしらの参考になれば幸いです。