昨日、こんなツイートをしてみました。
自分の中の違和感は、それが将来的にただの“こじらせ”だったと判断される可能性が高くても、なるべく大切にしたほうがいいと思います。あの時こじらせていたなあって反省する方が、きっと自分の成長にはつながるはずだから。違和感があるのに、その違和感を見て見ぬふりするほうが良くないと思います。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年2月27日
そしてこれは、「違和感」を「好奇心」に置き換えても、全く同じことが言えると思っていて。将来的に失敗する可能性が高いとわかっていたとしても、自分の中の「好奇心」に従って行動してみたほうがいい。たとえ本当に失敗したとしても、それは自分にとっては、とても大きな成長につながるはずだから。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年2月27日
そこまで自信を持てないときの人間の行動。
どうしても僕らは、自分にそこまで自信が持てない時、社会的な正しさや時代の気運に従おうとしてしまいがちです。
「きっと自分に非があるんだろうなあ…。」と、ある程度予想がついてしまうと、なおさらです。
だからこそ、下手にこじらせずに「素直」であろうと思う。
でもですよ、それでも僕は、その直感の方に素直に従ったほうがいいと思うのです。
ひとはいつ成長するのか?
なぜなら「ひとはいつ成長するのか?」を考えたときに、自己責任で突き進み、自分の納得感のもと、全身全霊で挑戦したときだと思うから。
多少のやけどで済みそうなら、むしろその“こじらせ”や“失敗”は自分の成長において必要な経験のようにさえ思います。
だって、幼い頃の古傷がひとつもない、ピカピカの人間なんていないでしょう…?
だからこそ僕は、聞き分けよく、まわりが求める自分の姿に近付こうとするために「素直」であろうとするよりも、自分の心の声を大切にして、自分の直感に「素直」であるほうがいいと思います。
参照:まわりの声に「鈍感」で、自分の心の声に「敏感」になったほうが、他者とつながり共創できる時代。 | 隠居系男子
最後に
そして、この感覚は「対人関係」でも、全く同じことが言えると思っていて。
誰もが「あのひとは、良いひとだ」と言っているひとであっても、自分が違和感を感じるなら、距離を置いたほうが良いと思いますし、逆に誰もが「あのひとには、近づくな」と言っているひとであっても、自分が直感的に興味があるのであれば、積極的に関わっていったほうがいい。
今日のお話はあくまで僕の価値観でしかないですが、いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、何か選択肢を選び取るときの参考になれば幸いです。