どうも鳥井(@hirofumi21)です。
先日、「佐々木俊尚×松浦茂樹トークセッション『これからのメディア業界で求められる人材力とは』」というイベントに参加してきました。
画像引用元:「これからのメディア業界で求められる人材力とは」 | Peatix
良質な情報とは何か?
全体的にとてもおもしろいイベントだったのですが、特に印象に残った言葉が、スマートニュース株式会社メディアコミュニケーションディレクター松浦茂樹さんの「良質な情報とは、次の良質の情報を作ることができる情報である」というお話。
「良質な情報は、次の新しい議論を作り出していく。それが最終的により良い世界に繋がっていく。」と松浦さんは仰っていました。
「連綿とした正義の否定の繰り返しこそが、正義である。」
この話は、以前ゲンロンカフェの東浩紀さんと川上量生さんとの対談の中で語られていた「正義」の話にも近いのかなと。
「誰かが主張する正義があり、それを否定する声が生まれてきて、その正義が否定され、また新しい正義が創りだされていく。この世にただひとつとして、正しい正義というものは存在しないけれど、その連綿とした繰り返しの過程こそがが、正義そのものなんだ」と。
かなり前のイベントなので、確実ではないですが、確かそんなようなお話を東浩紀さんがしていたように記憶しています。
参照:ゲンロンカフェ主催「風立ちぬ」公開!川上量生×東浩紀対談「川上量生の見た宮崎駿と鈴木敏夫~コンテンツとプラットフォーム~」に参加して来ました。 | 隠居系男子
良質なメディアとは何か?
同様に、今回の松浦さんの「良質な情報」のお話も、連綿とした議論の過程、それを創りだす元になることができる情報が、良質な情報であるということなのでしょう。
だからこそ、その情報の発信源になるメディアと言うのは、その過程を後押しすることができる機能をもっていなければならないのだと思います。
つまり、「良質なメディアとはなんなのか?」と言えば、その良質な情報を提供して、そこに人が集まっていて、議論され、そこで生まれる新たな議題も掬い上げつつ、その良質な情報を循環をさせることができる機能をもった媒体のことなのだと思います。
広義のメディアって?
でもそうなってくると、これまでの狭義のメディアだけでは、立ちゆかなくなってきてしまいます。というより、インターネットの力によって、メディアの力が更に今加速しようとしている。
作り手側側から読者という一方向だけではなく、読者から作り手側へのフィードバックを受けるというような「双方向性」も絶対に求められるようになってきますし、そもそも、メディア対読者という関係性だけでなく、そのメディアを媒介にして「多対多」という構造の方が更に望ましいということになります。
参照:Webコンテンツの収益化には「多対多の関係性」が求められる? コンテンツではなく場に課金するという考え方 – メディアの輪郭
メディアという言葉の狭義の意味だけでなく、コミュニティ、場、サロン、私塾…などなど、そこで生まれる全ての過程そのものが、広義のメディアになっていくのだと考えることができるのでしょう。
最後に
このように考えてくると、佐々木俊尚さんが今回「LIFE MAKERS」掲げているコンセプトもしっくりくるなぁと思います。
これからの私の主テーマはここです>「メディアとは『プロセス』や『共同体』であって媒介ではなくなる」/『知』の力 – 佐々木俊尚さんと松浦茂樹さんの対談を聴いて考えたこと – http://t.co/1PU41NbGaP
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2015, 4月 18
この辺りの話は、まだ自分の中でも完全に咀嚼しきれていないので、これからゆっくりと考えてみたいと思います。
そして、これからの暮らしを考えるウェブメディア「灯台もと暮らし」も、そんな広義のメディアの一翼を担えるようなメディアへと発展させていくことができればいいなと思っています。
それでは今日はこのへんで。
ではではー!