どうも鳥井(@hirofumi21)です。
先日、「いま改めて、テレビを見たいと思う理由。」という記事を書いた時、結構批判的な意見も頂きました。
この記事に込めた想いは「テレビを以前のように見続けろ!」という意味ではありません。
生まれてこの方ずーっとテレビを見続けている人は、今すぐテレビを観る習慣はやめた方がいい。それは間違いありません。
しかし、一度辞めた人は「今改めてテレビを見直してみる」ということに意味があるんじゃないか、ということです。
何事においても、一度依存したものから離れてみる。そしてしばらく経ってから見直してみる。そうすると、その本質がみえてくるのではないかと。今日はそんなことについて少し書いてみようと思います。
中国でTwitterを使うことが出来なかった経験。
少し話は逸れますが、僕は大学を卒業して2年弱中国北京で生活をしていました。中国では国家によるネット規制があるため、Twitterやfacebookが使えません。
そのため、学生時代に依存するほど使い込んでいたTwitterが使えない環境だったわけです。詳しくは以下の記事をどうぞ。
参照
悪習慣を断ち切る方法 それは便利をやめること。 | 隠居系男子
いま僕がTwitterでキュレーション活動を再開する理由 | 隠居系男子
中国でのネット環境に慣れた後、日本での自分を思い返してみて「なんて恐ろしいハマり方をしていたんだ…」と思いましたが、その後中国から帰国してみて、改めてTwitterを使い始めてみると「なんだ、案外良いツールじゃないか」と。
その時に、ふと思ったのです。Twitterは別に善でも悪でもない、自分の使い方が悪かっただけなのだと。
物事はいつも中立で、自分の心の置き方次第。
こうやって一度依存したものから離れてみて、その習慣から完全に脱却した後、それをまた見直してみると、その搾取構造のようなものがわかってきて非常に面白いです。
そのシステム的な部分もそうですし、純粋にクオリティが高いなーって思ったりもします。「そりゃハマるよなぁー」と。
世の中の中毒性の高いツールやデバイス、システムや構造というのは、どれをとってもそれ自体は中立なんです。
それだけに没頭して、それしか見えなくなってしまうから悪に変わるだけ。一度離れてみれば、あくまで中立なんだっていうことがすぐにわかるはずです。
最後に
だからこそ本当に大切なことは、いつでも離れて、いつでも夢中になれるという身軽さなんだろうなと。
住む場所もきっと同じです。今の僕は、しばらく日本に住むって決めましたが、まだ一度も日本を出たことがなく、且つ心のどこかに”違和感”を感じている人は、今すぐ日本を出て海外で生活してみた方がいい。
ダラダラと付き合い続けていくことが一番良くありませんし、本当の姿は絶対に見えてきません。
サクっと徹底的にハマって、サクっと抜けだして、次に行く。また違うモノにひと通りハマって一周してきたら、またサクっとハマってみる。その繰り返し。
そのフットワークの軽さみたいなモノが、本質を見定める上で一番重要な視点のはずですし、これからの時代に大切なスタンスになっていくんだと思います。
まだまだ上手く言語化出来ませんが、そんなことを考える今日このごろです。
それでは今日はこのへんで!
ではではー!