いま自分が唯一CMを見ている空間、それは銀座線の車内だというお話。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

以前「バイラルメディアに対する違和感の理由と、”親近感”というハイコンテクストの可能性」という記事を書きました。

この記事をきっかけに、自分にとって「リニアなコンテンツをみる空間」ってどこなんだろうと考えています。

そしてその答えの一つは、「身体を“拘束”されている“移動中の空間”」なのかもしれないと気づきました。今日はそんなことについて書いてみようと思います。

銀座線の車内液晶に映し出されるCM

自分は、テレビ番組を見るときもCMはガンガン飛ばしますし、youtubeなど動画サイトの広告も絶対にスキップしてしまいます。しっかりとCMを見ている時間というのは皆無になりました。

そんな中、唯一自分が「CMをしっかりと見ている空間はどこか」と考えた時、ほぼ毎日乗っている電車内がそうなのではないかと思ったわけです。実は電車の中って、リニアなコンテンツを消化するのにものすごく適した空間。

僕は毎日銀座線に乗っており、最近銀座線では新車両が導入されて、液晶が設置されている車両もあります。そうすると、渋谷から浅草までの30分間ほぼ毎日電車内に拘束されており、無意識のうちに液晶に映し出されるCMを見てしまうわけです。

以下の東京メトロのCMなんて何百回見たかわかりません。

こんなに繰り返し見ている動画って、今の自分にとっては本当にあり得ないことです。かなり奇跡的なことであると言えます。

身体を“拘束”されている車内広告の可能性

しかし、広告業界の中ではこの電車内のCMってあまり重要視されていない用に感じます。同じような広告がエンドレスに流れている時点で、“とりあえず流している感”が満載ですからね。

「26歳・都内在住男性」が唯一見ているCMがここだけなのに…。

つまり、これからの時代は「身体が“拘束”されている“移動中の空間”」だけが、確実にCMを見てもらえる空間なのかもしれません。

広告を流す側は、ここに対するこだわりがもっとあってもいいのではないでしょうか。もっと有益にこの空間を使う方法ってあるんじゃないのかなぁーって。

例えば京都へ行くときの新幹線の中で「そうだ、京都行こう。」のCMがエンドレスに流されていれば、絶対に無意識のうちに見てしまいますよね。むしろ、観光に行く方からすれば、積極的に流して欲しいぐらいだと思います。

最後に

車内広告に関しては、憲法の「とらわれの聴衆」的な話になってきて、「法的にどうなんだ?」って問題も出てきそうです。

しかしこれからの時代、ドンドン移動する人々が増えてくるはず。日本国内に限らず、世界中を飛び回る人というのはもっともっと増えてくるはずでしょう。そんな人々の新しい生き方に合わせて新しいカタチの広告を考えてみるということは非常に大切なことのように思います。

メディアに関わっている人は、今の世の中において本当の意味でリニアなコンテンツが消化される空間はどこなのかって考えてみると、結構面白かったりすると思いますよ!

それでは今日はこのへんで。

ではではー。

スポンサードリンク