どうも鳥井(@hirofumi21)です。
本当は「退屈と消費と、恋愛と。」のイベントの中でお話したかったんですが、すっかりと忘れていたので、ブログに書き残しておこうと思います。
「最近の若者たちは、規模拡大を求めない。華やかでもなく、決してお金にもならないようなことを、一生懸命やっている。」特にローカルに根付いて活躍している人たちはこのような傾向が強い人が多いです。
上の世代の人たちからすると、これがとても不思議に見えるようで「あいつらは一体なにをやっているんだろう?そんなみみっちいことをやって何になる?」と思うのだそう。
でもきっとそれは、“道にしたい欲求”なのではないのかなと。今日はそんなことについて少し書いてみようかなと思います。
「ファッド→ファッション→スタイル→トラッド」という流れ。
田中康夫さんが以前「ラジオ版 学問ノススメ」に出演していた時にお話していたことでとても印象に残っているお話があります。それがこの「ファッド→ファッション→スタイル→トラッド」の話。
世の中の事象は、このどれかのフェーズに当てはまるのだと。
今は伝統になっていることであっても、最初は一人の狂気(ファッド)から始まり、それが伝播して一部のコミュニティに広がってファッションとなり、それが世間的にも認知されるようになってスタイルとして確立され、最後はトラッド(伝統)まで昇華されたのであると。
「規模感」と「道にしたい欲求」2つのベクトル。
一方で、これとはまた別軸として存在するのが、規模感に対する欲求だと思います。
「たとえファッションだとしても良いから、とにかくデカくしたい、派手にしたい、目立たせたい!」という欲求。
上の世代の人達の欲求はきっと規模感の方に近かった。一瞬だとわかっていたとしても栄華を極めたいというような。
でも、今の若者の中ではそんな欲求は薄まってきていて、規模感が関係なくなりつつあります。それよりも、本質を見極めたいという欲求の方が強い。
どれだけスケールしたとしても、もしもそれが一瞬で消費されて終わってしまうファッションであれば、意味がない。これだけ何でもフローで流れてしまう世の中だからこそ、後世にもしっかりとストックされるような価値観をつくり出してみたいと。
それはつまり、規模感じゃなくて“道にしたい欲求”なのだと思います。武道とか花道とか茶道などと同じように、◯◯道にしたいということ。
たぶん、これが今の若い世代に漠然と共通している価値観なのではないかなと、僕なんかは周りの若者をみていて思うわけです。
サードウェーブも、言ってしまえば「珈琲道」
たとえば、サードウェーブの流れも、川下ではまだまだファッションに過ぎませんが、川上に行けば、あの人達はコーヒーを本気でトラッドまで昇華させたいと思っている。それはつまり「珈琲道」にしたいということなんだと思います。
最近徐々に注目されてきたタイニーハウス的な文脈も、なんだかんだで千利休が考案した茶室とかに近い文脈を漂わせている気がしますし。
最後に
これはいわゆる従来的な「求道的である」という話ともまた違う話だとは思っています。ここでそれを言及してしまうと長くなってしまうので、あまり多くは語りませんが、きっともっとカジュアルなもの。
一瞬の栄華ではなくて、後世に残るものとして、どうやったらトラッドになるのか、“道”になるのか。今それを考えあぐねている人がとても多い気がしています。
彼らがやっていることを、そんな角度から観てみると、また全然違う見え方になっておもしろいですよ。何かしらの参考になれば幸いです。
それでは今日はこのへんで!
ではではー。