どうも鳥井(@hirofumi21)です。
いつものごとく、「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」を聞きました。
参照:2016/05/30 ディズニーアニメーション映画「ズートピア」丨鈴木敏夫のジブリ汗まみれ – TOKYO FM 80.0
この中で「伝えたいメッセージを、オブラートに包む。」というお話が出てきたので、今日はこの回を聴いて思ったことを少しだけ書いてみようと思います。
「オブラートに包む」という行為は必要不可欠。
何かメッセージを伝えたいと思い広く行き届けようとすると、大衆迎合的になり、どうしても過激な表現になりがちです。
そのほうが、注目を浴びやすいですからね。しかも、意識しなければドンドンとその過激さは増していく。
それはまるで、つけなれた香水みたいになってきます。
自分は自分の香水に慣れてしまっているから全く気付かないけれど、周りからすれば「どう考えてもつけすぎでしょ!」というような。
「物議を醸したい!」「自分(たち)の権利を主張したい!」っていうだけだったら、喧嘩腰で中指立てまくるというのは全然アリだと思います。
しかし、その先に「本当に世の中を変えたい」っていう欲求があるのであれば、それは近道のようで遠回りだと僕は思うんです。
世の中に対してポジティブな影響を与えたいと思うのであれば、やっぱり「オブラートに包む」という行為は絶対に必要不可欠。
それは「北風と太陽」にも似ているお話で。
何か人の心を動かしたいと願うときに「北風と太陽」でいうところの「これは北風がやることかな?それとも太陽がやることかな?」って一瞬でも考える時間をつくる事って、とても大事なことだと思う。童話だと、誰もが北風のやっていることは間違いだと気付くけれど、実社会にはなんと北風の多いことか。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年4月8日
オブラートは1枚でいい。何枚も重ねない。
一方で、ふわっとさせすぎてしまって、一体何を言っているのかわからないという表現が世の中に多いのも事実です。
多方面に気を使いすぎてしまって、結局何も言っていないのと同じになってしまう。
それは、オブラートを何枚も重ね過ぎてしまって、中身が適切に溶け出さないまま体外へ排出されてしまう薬と一緒です。苦くはないけれど、効果もないというような。
オブラートは1枚でいい。口に含めば、すぐに溶けてなくなるぐらいが丁度いいんだと思います。
最後に
「ズートピア」というのはまさにそんな映画です。
伝えたいメッセージが明確な上に、そのちょっと苦いメッセージを一枚のオブラートに包んで絶妙なバランスで表現している。
「世の中を本気で変えたい」という人間の覚悟とその度量を感じるような内容でした。
「あー、とんでもない作品を観てしまった。」というのが第一印象です。冗談抜きで、人類の進化を感じさせてくれるような映画。
いつか自分もこんなコンテンツを作れるようになりたい。コンテンツづくりに携わる人間として全力で嫉妬してしまうような、そんな作品でした。
このブログを読んでくださっている皆さんにもぜひ観てみて欲しい映画です。
観終わったらぜひ「ジブリ汗まみれ」も一緒に聴いてみてくださいね。
参照:2016/05/30 ディズニーアニメーション映画「ズートピア」丨鈴木敏夫のジブリ汗まみれ – TOKYO FM 80.0
それでは今日はこの辺で。
ではではー!