最近、無意識のうちに全身同じブランドの洋服を着ているということが多いんです。
セットアップを着る機会が増えたからという理由も大きいのですが、一昔前はダサいと言われていたことですよね。(いや、今も…?)
けれど、今はなんだかそっちのほうが、僕にとってはしっくり来るんです。
「なんでそう思うようになったのかなあ…?」と、最近頭の片隅でずっと考えていたのですが、そこで気がついたのは「あっ、ブランドの背景にある価値観や思想がぶつからないようにしているんだ」と。
違うブランドの洋服を合わせるときであっても、一番大切にしていることは、近しい思想や価値観の洋服を合わせることだったんです。
どれだけ「見た目」が整っていても、価値観や思想が異なっているものを一緒に合わせている状態だと、なんだか居心地が悪い…。
他人からは整っているように見えても、自分自身がなんだかガチャガチャしているような違和感を抱いてしまうのです。
ひとも、履歴書だけで判断できるような表面上の基準で分類しがち。
そこでふと気がついたんですが、株式会社Waseiのメンバーや、Wasei Salonに招待するメンバーを選ばせてもらうときもそんな風に考えていたなあと。
どうしても僕らは、学歴や肩書、現在までの職歴など、履歴書だけで判断できるような表面上の基準で人のことをセグメントしてしまいがち…。
だから、就活やいま流行っているコミュニティなどでも、そういう基準で区切る(足切りする)ことってすごく多いですよね。
でも自分はそんな区切り方に、どこか違和感を感じていて…。
どれだけ見た目や表面上の属性が似通っていても、中身が同じだとは限りません。
むしろその中身の齟齬こそが、現代の様々な問題を引き起こしている要因となっている。
だからこそ、僕はソレを揃えたかったのかもしれないなと。
背景にある思想や価値観、「美意識」のような言語化しづらいものの方こそ僕にとっては重要で、そこが似通っている者同士を集めたかったわけです。
その人のセンスや美意識によって選ばれていく時代。 | 隠居系男子
購入する決め手が「美意識」に変化する中で、人の美意識はどのようにすれば育まれるのか? | 隠居系男子
最後に
色や形、見た目や学歴など、表面上の言語化できるものが異なっていても、思想や価値観がちゃんと整っていれば、それぞれの居心地はよくなるのではないのかなあと。
もちろん、無理やり選抜してくるのではなく、適材適所で配置するだけでいいんだと思います。それだけで十二分に輝き始めるのだから。
参照:他郷阿部家を訪れて。僕がつぎはぎ文化に惹かれる理由。 | 隠居系男子
それが僕の最近の仮説です。
いつもこのブログを読んでくださっている皆さんは、どうでしょうか。
そんな変化を感じ取っている方がこのブログの読者の方々の中にもいてくれたら、とっても嬉しいです。
今日のお話が皆さんの何かしらの参考になれば幸いです。