先日、こんなツイートをしてみました。
最近よく考えているんだけど、Waseiで「アーティスト採用」ができないかなあって考えている。「これからの暮らしを考える。より幸せで納得感のある生き方を」という会社の理念は、実際にそんな生き方を体現しているひとたちを一人でも多く増やしていくほうが説得力も実現度もより高まっていくよなと。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年12月21日
さらに、その過程で生まれてくる彼らの課題を個別具体的に一緒に思案しながら解決していくほうが、遠回りのようで、結局のところ近道になるような気もしていて。漠然と頭に浮かんでいるイメージとしての「誰か」よりも、目の前にいる「彼ら」の方が、問いがより具体的になっていくから。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年12月21日
そもそも会社にとって必要な能力を備えた人材を集めてくること自体がもう古い気がするんですよね。それよりも、より自分らしく振る舞える環境を用意して、集まった者同士が互いに神輿を担ぎ合えるような関係性を構築しつつ、ドンドン羽ばたいていってもらった方が会社としても結果的にうまくいくはず。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年12月21日
これからの「会社」と「コミュニティ」の違い。
「コルクラボ文化祭」のトークイベントで話題に上がってから、これからの「会社」と「コミュニティ」の違いについて、ずっと頭の片隅で考え続けてて。
両方を同時に運営している身からすると、「会社」にも「コミュニティ」にもそれぞれに一長一短があって、ゆるやかに近づいていくはずだとは思いつつ、どちらかひとつに統合されるということはないと思います。
その上で、僕がこれからの会社に求める在り方を言語化すると、上記のツイートのようになるのかなと。
たぶん、「会社のために働いてもらう」という従来の当たりまえは、もうそろそろ姿を消すと思います。
それは、今の世の中の時流や、これからの働き方の方向性などを考えてみても、自明の理でしょう。
そこにいる「人」が一番の主役なる。
そのうえで、いくつかコミュニティを運営しながら思うことは、今のコミュニティがもう少し細分化しながら発展してきて、会社のようなものと純粋なコミュニティのようなものにわかれてくるはずで。
僕らが運営している中でいえば、Wasei Salonはどちらかといえば将来の会社の形に近くて、SUSONOや「もとくらの写真/現像室」は将来のコミュニティのような形に近い。
ただひとつはっきりと言えることは、どちらにせよ、そこにいる「人」が一番の主役なるということ。
これまで主役だった「法人」というある種のフィクションは、あくまでその「人」をより一層幸せにするための装置に過ぎなくなるはず。
きっと一昔前の「国家と国民の関係性」に近くなっていくと思うんですよね。
最後に
ただ、これもきっと一気に移行していくことは難しいはずです。
Waseiも、2019年から2020年ぐらいにかけて、それぞれの場をうまく活用しつつ実験しながら、次のフェーズに向けてゆるやかに移行していきたいと思っています。
今日のお話の中に何か明確な答えがあるわけではないですが、いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても何かしらの考えるきっかけになれば、参考になれば幸いです。