この記事を書いてから、「怒り」について様々な意見が皆さんから寄せられてきています。
それを受けて、昨日さらに思うことをツイートしてみました。
怒るべきかどうか論って、怒る側(指導者やマネージャー)同士の対話の中で議論されるから、正直あまり参考にならないと思っている。どうしてもポジショントークになりがちだから。どれだけ相手のためを思っていたとしても、相手が怒られたくないと思っていたら、やっぱりそれは怒らないほうがいいよ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年1月24日
あと、普段から怒っている指導者やマネージャーのまわりには、自然と「自分は怒られると伸びるタイプ」だと思い込んでいるひと達が集まりやすい。だからこそ、彼らは怒られると快感を覚えるし、「あなたのおかげで私は成長できた…!」って感謝を伝えるひとも増え、その指導者はさらに怒るようになる。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年1月24日
「怒る」と「叱る」を分けて考えるべき、という意見。
一番、多く寄せられた意見のひとつが、「怒る」と「叱る」を分けて考えたほうがいいという意見。
確かに、その意見は一理あると思います。
ただし、以下のツイートにも書いたとおり、「叱る」という行為が育成において一定の効果があるとしても、それが唯一無二の方法であるかどうかは、ちゃんと見定めたほうがいいなと僕は思っています。
「叱る」行為って確かに育成には一定の効果があると思います。でも唯一無二の方法ではないと思うんですよね。お笑い芸人さんが弱者をいじって笑いを取るような行為に非常に近いなと。時代が変わりつつあるのだから、それ以外で笑いを取る方法があるのであればわざわざそれを選ばなくても良くないかと。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年1月24日
山頂を目指すにしても、山道がひとつであるわけではない。
上記のツイートのお笑い芸人さんの話は、以前ラジオ番組「Session-22」の中で、荻上チキさんがとんねるずさんの「保毛尾田保毛男」の復活を受けて仰っていたことです。
参照:【音声配信】「当事者が痛いと言っているから、足を踏むな~”保毛尾田保毛男”問題に荻上チキがコメント」▼2017年9月29日(金)放送分(TBSラジオ「Session-22」)
僕はこの考え方がとっても大事だなと思っていまして。
それこそ、「一定の効果があるかどうか」と「唯一無二の手段なのか」を分けて考えないといけないと思います。
たとえば、山頂を目指すにしても、山道がひとつであるわけではありませんよね。
にも関わらず、「ここを登れば絶対に山頂にたどり着けるから!」という理由だけで、その山道を無理やり登らせようとするのは、良くないことだと思うのです。
最後に
同じように、今の若いひとたちが、従来のあり方に対して、明らかに「NO」を突きつけているのにも関わらず、「これには必ず効果がある!」と言って、嫌がる中でも無理強いすることはなんだか違うよなと。
同じ頂上を目指すにしても、別の山道があるのであれば、その山道だってひとつの候補であって欲しい。それこそが、多様な社会のあり方だと僕は思います。
仮にそれが多少の遠回りになったとしても、です。
以前も書きましたが、僕は圧倒的な結果よりも、悲しむひとがひとりでも減って、心から楽しむひとがひとりでも多く増えてくれたら嬉しい派です。
参照:きっかけや気づきを与えてくれたひとを、一番最初に巻き込みたい。 | 隠居系男子
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、何かしらの考えるきっかけになれば幸いです。