怒らなければ、うまくいく。

昨日、ものすごく共感したツイートがありまして。

全く別の文脈で、僕はこんなツイートをしていました。

このときは気が付かなかったのですが、「胆力を試される ≒ 怒りに耐えられるか」ということなのかもしれません。

今日はそんなお話を少しだけ。

怒らないで、乗り越えられると自信につながる。

確かに、自分が怒らないと、相手は図に乗ります。それは紛れもない事実です。

だから、怒りが強い抑止力になるということは間違いありません。

でも、そのうえでさらにもう一度輪をかけて、優しく接してみる。

そうすると、意外と最初に欲していた目的が達成することってあるんです。

いつも怒りで物事の解決を図っているひとにとっては、「そんなことあるわけがない…!」って思うかもしれないんですが、でもあるんです、不思議なこと。

その成功体験の繰り返しが、ズーニーさんが言うように、自信にもつながるんだと思います。

少なくとも、一度でもうまく行けば、次も怒らないで接してみようって思えてくるはずで。

怒りは必ず「やり場」を求めてしまう。

怒ることってものすごく強力な原動力になります。

でも、その原動力は長くは続かないし、なによりも怒ることそれ自体が目的化してしまいがち。

「怒りのやり場がない」という言葉がソレを象徴するように、怒りというのは、必ずその「やり場」を求めてしまうんです。

その結果、やり場を求めて(誰かと共有したくて)、他者を脅かすようにもなってしまう…。

だから、ほぼ日の「なるべく相手を脅かさないメッセージを選ぶ」という指針を知ったときも、ものすごく素敵だなあと思ったんです。

これも「僕らは決して怒らないんだ」という胆力の証であり、その覚悟なのだと思います。

最後に

一度でも拳を振り上げてしまうと、後戻りができなくなってしまう…。

でも僕らが拳を振り上げたくなる理由というのは、その拳で誰かを殴りたいわけではなく、本当に達成したい目的(欲求)があるからで。

だったら、その手段に怒りを選ばない。

いつでもその趣旨や本質に立ち返ることができるように、自分の中に存在するありったけの優しさをかき集めて、その目的達成に向けて働きかけたいなあと、僕は思います。

それが僕の考える「より胆力が試されるほう」です。

いつもこのブログを読んでくれている方にも、何かしらの形で参考になれば幸いです。

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