最初は違和感だらけだったのに、よくよく調べていくうちに物分りよく折り合いをつけてしまったこと。
負けず嫌いで賢いひとほど、必ずひとつやふたつは存在すると思います。
そこに、自分自身が人生をかけて取り組むこと、そのヒントが隠されているような気がします。
今日はそんなお話を少しだけ。
学生時代、校則に感じていた違和感。
そう思ったきっかけがありまして。
それが、校則。
僕にとって、学校の校則は本当に違和感だらけでした。
特に、髪の毛の色。
僕自身、地毛の色が明るくて、何度も何度も教師に呼び出されて、どれだけ地毛だと説明しても理解してくれなくて、教員室の前に数時間立たされたこともありました。
なんとか黒染めすること自体は免れましたが、当時は本当に理不尽だと感じていたんです。
当時の悔しい気持ちも、今や完全に忘れてしまった。
だから、調べました。
大学に行くまで、ずっと当時の悔しい記憶を根に持ちながら、調べました。
だって、あれは完全に人権侵害だと思ったから。
でも、大学で法学部に進み、法律を勉強しているうちにそれが違憲じゃないと知りました。
最初は衝撃的だったんですが、物分りが良くなればよくなるほど「仕方のないこと」なんだと思うようになり、自分の中で折り合いをつけるようになりました。
そのうち、毎日の忙しさにかまけて、当時の悔しい気持ちも完全に忘れてしまったんです。
校則における、時代の変化。
でも、時代は変わりました。
最近は、「#ブラック校則」のようなムーブメントも起きてきて、これはやはり人権侵害であるという機運が盛り上がってきた。
P&Gの「パンテーン」はこんな広告も打つようになりました。
皆さんがずっと疑問に思ってきた学生の“髪型校則”。「生徒」と「先生」に対話の場を設けました。
ドキュメンタリームービーから見えてくる“髪型校則のホンネ”。共感した方はぜひシェアを。
すべての人の前向きな一歩を応援します。#この髪どうしてダメですか #HairWeGohttps://t.co/10d2End9jq pic.twitter.com/Et3iYie3ZD— パンテーン (@PanteneJapan) 2019年4月7日
5年〜10年前だったら、こんな広告は絶対に無理だったように思います。
みんな泣き寝入りするしかなかった。でも、今はもうそうじゃないんです。
最後に
物分りよくなったつもりで「世の中はそんなもの」と折り合いをつけてきてしまった自分を恥じました。
だからこそ思うのです。
その違和感を取り戻し、改めて目を向けてみることって大事だなと。
それが、今の時代に自分が生きる意味にもつながると思うし、「何を民主化したいと思うのか?」のひとつの選択肢にもなり得るのだろうなと。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、若いころの違和感を思い出すきっかけとなったら幸いです。