どうも鳥井(@hirofumi21)です。
以前、「隠居系男子の対義語は、天下統一系男子ですね。」と言われたことがあるのですが、言われてみれば確かにそうだなと。
自分ではそんなこと考えたこともなかったのですが、確かにこれは言い得て妙なので、その違いについて、今日は少し書いてみようかなと思います。
人生の賞味期限について
なぜ今日突然こんなことを書きだしたのかと言いますと、KADOKAWA・DWANGO代表取締役会長の川上量生さんが書いた以下のブログを読んだから。
人生の賞味期限について – 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
川上さんは、このブログではもうお馴染みで何度もご紹介してきました。そして今回の川上さんの考え方もとっても川上さんらしいなぁと。
参照記事
ニコニコ動画を運営するドワンゴ会長・川上量生著『ルールを変える思考法』が完全に星5つだった! | 隠居系男子
『KAMINOGE 鈴木敏夫 with 川上量生』から考えるニッチな雑誌の新たなカタチ。 | 隠居系男子
川上さん曰く、人生の賞味期限とは、勘違いをしたままなにかに異常な努力を注げる期間であると。「人生の賞味期限」が切れてない人というのは、要するになにも分かってない「馬鹿」のことだろうと言い放っています。
「ただ、不幸なことに人間とは多少の知性を持ってしまっているがゆえに、人生のどっかで自分の馬鹿さ加減にいずれ気づいてしまう。それに気づいてしまうまでが、“人生の賞味期限”ということだ」と書かれています。
詳しくは、ぜひ上記の記事を読んでみてください。
「天下統一系男子」と「隠居系男子」の違い。
僕も、この川上さんの主張には概ね同意です。
そしてまさにこの違いが「天下統一系」か「隠居系」かの違いだと思っているというのが今日の主題。
つまり、天下統一系男子というのは、人生の賞味期限が切れていない状態の人間であり、隠居系男子というのは、人生の賞味期限が切れた状態の人間だということなのかなと。
川上さんも記事内で言及されていますが、「理想主義」なのか、「理想を失わない現実主義」なのかという違いもまさにそう。
これはもともとスタジオジブリプロデューサーの鈴木敏夫さんの言葉なんですが、僕もとっても大好きな言葉です。
このあたりの葛藤をうまく描いているのが、井上雄彦さんの『バガボンド』であり、『バガボンド』では主人公の宮本武蔵が「強くなりたい」から「強くありたい」と願うようになるという過程で、その変化を表現していたりもします。
最後に
要するに、僕が考える隠居系男子とは「人生の賞味期限が切れた人間」のことであり、「理想を失わない現実主義者」であり、「強くありたいと願う者」だということです。
それが僕の考える「隠居系男子」。
26歳という年齢で「隠居」という言葉はどうなんだ?というツッコミをよく受けますが、誰になんと言われようとも、これからも隠居系男子でありたいし、あり続けたいなと思っています。
それでは今日はこのへんで。
ではではー。