せっかくイケダさんが下記の記事を書いてくれたので、もう少し自分の考えを詳しく書いておきたいと思います。
参照:たかが個人ブロガーが、読者を気にするのは愚の骨頂。わが道を行くんだ! : まだ東京で消耗してるの?
これからのメディアは実験の場であるべきだ。
既に何度も書いていますが、これからのメディアは何かしらの「答え」に辿り着くため実験の場であるべきだと僕は思っています。
参照:ウェブメディアは研究成果を発表する場に。 | 隠居系男子
この実験をする時に必要なものは、「問い」であり「仮説」です。
特に大切なものは「問い」だと思うのですが、この問いは、読者の期待に答える中で生まれてくるものでは決してない。
「問い」は、自分たちの内側から生まれてくるものです。
存在するかどうかもわからないけれど、いつか必ず辿り着きたい場所への希望、みたいなものですからね。
その答えに辿り着けるかもしれない道のりを「仮説」という形で実験してみること、それが今とても大切なのだと思います。
「傾向と対策」の分析に終始しない。
逆に「答え」がわからないという理由から、読者の方向ばかり向いてしまうと決して良い結果にはつながりません。
「問い」と「仮説」を立てることを怠り、「傾向と対策」を分析することに終始してしまうと、いつか必ず足元をすくわれてしまいます。
それは昨日のツイートにもあるように。
「傾向と対策を分析して、それに合わせてPDCAを高速で回していく」ってものすごく刺激的だし、クリエイティブに感じられて楽しんだけど、ふとした瞬間に振り返った時、何も残ってなくて絶望感に苛まれるだけだから、その戦いの螺旋からはなる早で降りたほうがいいと思う派です。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年6月11日
そうやって多くのメディアが失墜してきたことは、皆さんもよく知るところだと思います。
根底にある軸をしっかりと固定すること。
大切なことは、軸をしっかりと固定すること。
その上で、いくらでもコンテンツは柔軟に変化させていくべきだと思います。
多くの人は、ブレてはいけない軸を設定していないか、その軸の設定を高いところに置きすぎなんです。
枝葉ではなく、もっともっと根底にあるものをしっかりと固定したほうがいい。
にも関わらず、枝葉(コンテンツの内容、読者からの意見など)を固定してしまって、それに合わせて根を頻繁に動かそうとしてしまうから、自分たちの価値観を見失ってしまうのでしょう。
最後に
もう一度冒頭のイケダさんの記事の話に戻ると、少なくとも僕が彼のブログを読みはじめてから、彼が発信している内容の根底にあるものはずーっと変わっていないと思います。(もちろん、枝葉は鬼のように変化していますよ。)
「灯台もと暮らし」というメディアも「これからの暮らしを考える。より幸せで納得感のある生き方を」という軸が存在し、この軸さえブレなければ、コンテンツの内容自体はドンドン自分たちの中から生まれてくる「問い」や「仮説」に合わせて変化させていっていいと思っています。
今日のお話が、いつもこのブログを読んでくださっている皆さんの何かしらの参考になれば幸いです。
「変わらない人とは、時代と共に常に変わり続ける人である」という話、実在する人間だとわかりづらいけど、ドラえもんとか長寿アニメの変遷を辿れば一瞬で理解できる。ドラえもんでさえ、あれだけ顔と考え方を柔軟に変えてきてるんだから、一般人が固執して頑固に貫き通していいわけないだろって。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年4月4日