今朝、こんなツイートをしてみました。
文句を言ったり、悪態をついたりすることはダメだって風潮になってきているけれど、言いたいことがあるならドンドン言ったほうが良いと僕は思います。自分は何も行動していないのに、文句ばっかり言ってる自分にふと気がついて、突如恥ずかしくなり、その閾値が越えた瞬間に、行動に移せるひともいる。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年5月20日
というか、自分がまさにそうでした。あの時の穴があったら入りたいと思うような経験がなければ、外面だけニコニコしながら偉い人にヘコヘコして、内心では他者を見下しバカにして「おまえらは何もわかっちゃいない」と自分だけが何かをわかったような気になって、一生を過ごしていたような気がします。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年5月20日
トコトン失敗した経験がなければ、本当の道理は得られない。
恋愛や親子関係など対人関係もそうですが、トコトン失敗した経験がなければ、本当の道理は得ることができないと思います。
にも関わらず、「極限まで失敗を減らしたい」という欲求から、既に様々な失敗を繰り返した達人と呼ばれるようなひとたちから、彼らが悟った道理を聞いてそのまま引用し、自分が悟った風を装っても仕方ない。
外面は真似することができるかもしれないけれど、中身が一切伴わないという状態になってしまいます。
それは、「ミニマリスト」と「倹約家」の違いにも似ているなと。
「ミニマリストは、色々と購入し散々試したあとに厳選して辿り着く境地」とファッションスナップドットコムのPodcastの中で半分冗談交じりで語られていたけれど、これは本当にその通りだと思うなあ。「物が増えないように、お金を使わないように、なるべく物を買わない」っていうのは、ただの倹約家。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年4月29日
参照:圧倒的にダサイくらいミーハーにならないと、本質は見抜けない。 | 隠居系男子
「こうしたい!」に全力で取り組むこと。
だから最近、強く思うんです。
その時代に、自分が「こうしたい!」と思うことを全力でしておくことが大事だなと。
それが大成功につながるかもしれないし、大失敗につながるかもしれない。
結果がどうなるかは全くわからないけれど、そのときの自分は全身全霊だったという経験がいつか必ず自分の糧になる。
その経験があるからこそ、他者が悟った道理を聞いたときに、心の底からハッとする。
逆に、極力失敗を恐れた結果、他者から聞いたアドバイスに身を任せ、腰の引けた行動ばかりしていると、失敗したときの言い訳にしかならない。
もちろん、他者が悟った道理を聞いたときも、「まあ、そんなものなのかなあ…」ぐらいにしか思わない。
最後に
以前も下記の記事に書いたとおり、やっぱり今の自分が「ダサくない」と思ったら、何事も全力で取り組んでみるべきなんだろうなあと思います。
参照:ブログやSNSでネガティブなことも書いたっていい。大切なのは「自分は何をもって覚えられたいのか」ということ。 | 隠居系男子
常に「走りながら考える、走りながら学ぶ」それが一番効率が良いのだろうなあと。
今日のお話が、いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても何かしらの参考になったら幸いです。