圧倒的にダサイくらいミーハーにならないと、本質は見抜けない。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

いつも読んでいるブログ「所長サンの哲学的投資生活 ( フィリピン攻略篇 )」で、非常に共感できる記事が更新されていました。今日はその記事をご紹介しつつ、自分の思うところも少し書いてみようと思います。

「本質を見抜くためには、徹底的にミーハーになって“ムダ”を踏まないと無理!」そんなお話。あ、いまからすっごくダサイこと書きます。

「量が途中から、質に変化する。」

所長さんの記事は、いつもハッとさせれられるようなことが多いです。それを非常にわかりやすい言葉で語っているので、毎回更新されると欠かさず読んでしまうブログ。

今回の「投資は生き方とおもいます。」という記事の中で、僕が膝を打ったのは以下の部分。

本もひともそうだし、
食べ物も。
住む土地も。

なんでも量が途中から質に変化する。
ムダを踏まないと質がよくならない。ムダにも感謝します。
だからちょっとした機会が追い風になったりすることも偶然とおもわなくなる。
まいにち保険をかける生き方では流れとか勢い判らない。

引用元:投資は生き方とおもいます。 – 所長サンの哲学的投資生活 ( フィリピン攻略篇 )

ダサイくらいにミーハーにならないと、本質は見抜けない。

この所長さんの考え方、非常に同意です。

「自然に本質をつくことができる。」ということと、「ムダを踏む」というのは、一見すると矛盾し相対することのように思えます。

しかし、どこかで徹底的にミーハーになって引くぐらい狙った経験がなければ、本質をつくことはできない。

延々と狙い続けているうちに、ふとした瞬間、狙っていないモノがうまれるんだろうなって。そこに気がつけるかどうかなんだろうなと最近よく思います。

スラムダンク、バガボンド、リアルは上手にそこを描いている。

僕が井上雄彦作品が好きな理由というのも、全てここにある気がします。

スラムダンク』『バガボンド』『リアル』全部そう。下心とか、エゴとか、見栄とか、虚栄心とか・・・そういった野性的な感情丸出しです。周りからみると痛々しいぐらい荒削りなんですが、諦めないし、全く気にしない主人公。

そんな中、徹底して続けていると、フワッとその片鱗に触れる瞬間がある…。それを上手に描いているのが井上雄彦さんの作品だと思っています。

スラムダンクの桜木花道も、バガボンドの宮本武蔵も、リアルの野宮も、みーんなそう。野性的な感情から、万物の霊長たりうる人間の感性へと変化していく。この一連の流れが、最高に面白いし言い得て妙だなと。

最後に

古典でも同じような話はゴマンと存在します。十牛図なんかもそうかもしれません。

参照:自分が未熟だからまだ書評をかけていないけど、読んでから人生が変わった本5冊 | 隠居系男子

きっとある程度の高みに達した時、ミーハーだった時期というのはものすごく恥ずかしい過去となるはずです。それこそ、振り返りたくない過去。多くの人が、その未来の羞恥心に耐え切れなくなって辞めていくんです。

しかし、徹底してミーハーにならないと気が付かないものもあります。

ゼロを1にしようとしている人って、鬼のようにミーハーな人が多いです。そして、みんな本質外しまくり。見ていて本当に痛々しいぐらい。

でも、それでいいんだと思います。それでも諦めずに続けた一握りの人間が本当の高みに達するのでしょうから。

今回の記事が、皆さんの何かしらの参考なれば幸いです。

それでは今日はこのへんで。

ではではー。

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