「現代との格闘」と「今日性」の関係。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

先日もご紹介した「ジブリの仲間たち」という書籍。

参照:『ジブリの仲間たち』から学びたいのは、知識じゃなくて知恵の部分。 | 隠居系男子

この本の中で、「千と千尋の神隠し」のストーリーを決める時のお話が、とても印象深かったので、今日はその部分を少しご紹介してみようと思います。

そして、題名にもあるように「現代との格闘」と「今日性」の関係についても少し考えてみたいと思います。

映画を大ヒットさせるためには「現代との格闘」が必要。

話は、なぜ「千と千尋の神隠し」でカオナシが重要な役割を担っているのか?という部分です。

僕が見たところ、どうもカオナシというのは、人間の心の底にある闇、心理学でいうところの〝無意識〟を象徴している。そいつがあらゆる欲望を飲み込みながら暴走する。

千尋はそれを鎮め、海の上を走る列車に乗って銭婆に会いに行く。そして、戦うことなく名前を取り戻します。不思議なお話ですよね。物語の類型からはかけ離れています。でも、僕はこれこそが現代の映画だと思った。

一見、最初のストーリー(千尋とハクのファンタジー活劇)のほうが分かりやすいし、そのほうがヒットすると考える人もいるかもしれません。それはそれで、宮さんが作ればおもしろい映画にはなるでしょう。でも、大ヒットする映画にはならない。なぜなら、そこには〝現代との格闘〟がないからです。

「現代との格闘」がなければ、既視感のあるつまらないものになるだけ。

僕はこの「現代との格闘がないからです」という部分を読んだ時に、膝を打ちました。

そう、表現物には「現代との格闘」が必要なんです。

誰かが考え抜いて、もう過去のものとなってしまったことを、同じように表現してみたところで、それは過去の正解を再提示したに過ぎません。

それは既視感のあるつまらないものになってしまい、「人々の注目」や「議論」というのはあつまりません。

社会への問題提起に繋がる。

僕は、「現代との格闘」が内包されているからこそ、その作品が人類の進化と向上に貢献できるような表現物になるのだと思っています。

なぜなら、それがそのまま社会への問題提起に繋がるからです。その作品が起点となり、連綿とした議論がそこに生まれていく。

参照:良質な情報、良質なメディアとはなにか? | 隠居系男子

人が藻掻いている時に一番成長するように、社会もきっと、藻掻いている時が一番成長するんです。

参照:自分の中で当たると確信していたことがハズレた時に、人は一番成長できる。 | 隠居系男子

「現代との格闘」を含んだ表現物を世に提示するという行為は、社会全体が藻掻くためののキッカケを提示することであり、それが結果として、人類の進化と向上に資するということなのでしょう。

最近観た映画の中では、「ズートピア」がまさにそんな作品でした。

参照:伝えたいメッセージを、オブラートに包む。 | 隠居系男子

「今日性を大切にしろ!」の意味。

これまで僕は、メンバーに対して「今日性を大切にしろ!」と口を酸っぱく言ってきました。

なぜこれほどまでに「今日性」を強調してきたかと言えば、自己の中で今日性について深く考え抜いたとき、初めてそこに「現代との格闘」が生まれるからなのだと思います。

灯台もと暮らし」も言ってしまえば、この「現代との格闘」を描きたい。

「現代との格闘」を描いていれば、本質にコツンとぶつかる瞬間が必ずやってくる。

それを追求しながら、しっかりと情報を伝えることができるようなメディアでありたいと思うのです。

途方もない作業だとは思いますが、いつか必ずその境地に辿り着けると信じています。

最後に

今日の記事で、「今日性」と「現代との格闘」の関係性について上手く説明できたかどうかはわかりません。

しかし、今回この本の一節を読んで「これからの暮らしを考える」の本質に、また一歩近づけたような気がしました。

少しでもこれを読んでくれた皆さんの参考にもなれば幸いです。

それでは今日はこの辺で。

ではではー!

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