「許可より謝罪」で十分なのに、それを複雑化させてしまっているもの。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

昨日更新されていたnanapi代表・けんすうさんの以下の記事。

参照:許可より謝罪 – nanapi社長日記 @kensuu

これがとてもしっくりしたので、今日はこの記事を紹介しつつ自分の思うところを少し書いてみようと思います。

「許可より謝罪」

記事の内容をカンタンに説明すると、nanapiの行動指針は「許可とか求めるより、謝罪したほうが楽だから、相当クリティカルじゃない限り、許可とりにこなくていいよ」というもの。

その理由などもとても納得がいきます。それこそ、今まで自分が書いてきたことにも近くて、非常に共感できました。

参照
日本家屋のような「ボトムアップ構造」のウェブメディアにしていきたい。 | 隠居系男子

「ノンクレド」という考え方が、重要になる時代。 | 隠居系男子

詳しい内容については、ぜひ本記事をお読みください。

それでも却下するべきもの

普段から組織や媒体のことをしっかりと考えているメンバーから出されるアイディアであれば、上の「許可」なんかを取らなくても大抵のことはうまくいきます。複雑に思えて、そのへんは意外とシンプルです。

でも、そうゆうスタンスをとっていても、やはり却下するべきものもあると思っています。それが、自己の利益、いわゆる私利私欲や自己の承認欲求が盛り込まれてしまっているアイディア。

もちろん多かれ少なかれ自分の発する意見の中にはその要素が含まれてしまうものだとは理解していますが、感覚的にその要素が2割を超えたら、それはうまくいきません。

たとえそれが短期的には全体のプラスになるとしても、長期的にみれば絶対にどこかでバランスを崩してきますし、複雑になってしまいます。

そんな時いつも自分が思い出す言葉が、稲盛和夫さんの「動機善なりや、私心なかりしか。」という言葉。

参照:稲盛和夫著『生き方』オーディオブック版のススメ! | 隠居系男子

全体にプラスになることは、最終的に必ず個人のプラスにもなります。わざわざ私利私欲なんて取りに行く必要はなく、非常にシンプルな発想で十分なんです。

誰も得しないアイディアを採用するのが一番最悪

アイディアを提案した個人だけだとしても、しっかりとわかりやすい利益があれば、それはそれでラッキーです。

一番タチが悪いのは、誰の利益にもならないようなアイディアを採用してしまうこと。実は、これが思いのほか多いんです。特に日本人の議論の場ではものすごく多い。

アイディアを提案しあう場で、目の前に提案されたアイディアだけを否定しているはずなのに、自分自身を否定されたと勘違いして反発してくる。「自分が間違っていたのかも…」と思いつつ、そこに折れたくないがゆえに反発してくる。

この、よくわからないプライドで議論を複雑化してしまうことが非常に多い。この時の相手が上司だったり、気むずかしく頑固な相手だったりするともう最悪。相手の顔を立てて、やむを得ずその意見を取り入れた結果、だれも幸せになりません。

笑い話のようですが、日本人同士だと本当にこうゆう事案が多いです。

最後に

全員が自分の頭で考え、全体利益のために動くことができれば「許可より謝罪」で本当に十分だと思います。

あとは、上記で述べたような“よくわからないプライド”さえ見抜くことができれば、物事は意外なほどにシンプルです。

複雑にしているモノが何なのか、それを常に注視していきたいものです。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

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