昨日こんなツイートをしてみました。
フリーランスやプロジェクト単位での働き方が当たり前になりつつある昨今、次はいかにおもしろい“ごろつき”が溜まれる場所をつくるかが重要になってくると思うんだ。雇用されているからそこに居る、というよりも、特に目的もないけれど(←ココ重要)自分からすすんでそこに居る、というような。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月13日
これまでも日本の歴史の中でそういった場所というのはたくさんあって、そこから生まれてきた文化は山ほどあると思うんだけど、次の時代はオンラインといかにうまく繋げられるよう設計できるかが重要になってくるんだと思う。次の時代のおもしろいカルチャーは、そういった場所から生まれてくるはず。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月13日
大切なのはやっぱり、イケてる“ごろつき”が自然と集まっていること。人間として「おまえホントにどうしようもないヤツだな…!」っていうような指摘をされるような人柄であっても、なぜかまわりから愛されていたり、突然めちゃくちゃ良いことをポロッと口に出すヤツが自然に居座っていると最高。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月13日
これはもう確信に近いのですが、残念ながら誠実で真面目な人間だけが集まったところで、おもしろい文化は生まれてこないんです。#Waseisalon で招待するメンバーを考えていたときも、実はこれを相当意識しました。誰がそうだとは言わないけれど、全体の2割ぐらいは必ずヤバいやつを入れようと。笑
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月13日
個人の「好き嫌い」の発露と、正しくないものを受け入れていく過程。
大切なことなので何度も繰り返しますが、本当に残念なことに、誠実で真面目な人間だけが集まったところで、おもしろい文化は生まれてこないんです。
無味無臭の工業製品的なサービスは生まれてくると思いますが、やっぱり匂いや手触り感のあるカルチャーは生まれてこない。
なぜなんでしょうね。やっぱり「好き嫌い」の発露が重要で、正しくないものを受け入れていく過程にこそ、愛が生まれてくるからなのでしょうか。
最後に
そういえば先日聴いたラジオで、是枝監督がインタビューを受けていて、「『万引き家族』のリリー・フランキーさんの役は、彼自身はまったく成長していないけれど、彼と関わる人それぞれが成長していくための“媒介”となっているんだ。」というような趣旨の発言をしていました。
今日のお話にも少しつながる気がしたので、最後に書き加えておきます。
参照:【音声配信】「観た時に問われるのは自分自身~映画『万引き家族』でカンヌ最高賞を受賞!是枝裕和監督と荻上チキが語り合う!(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」2018年6月11日放送分)
なにはともあれ、こんな時代だからこそ、他者から愛される“ごろつき”を排除しない、そんな居場所や空間を誠心誠意つくっていきたいです。