どうも鳥井(@hirofumi21)です。
最近、バズっていた以下の記事。
【インタビュー】せーの代表 石川涼「ファッションは終わり、感動するものだけが残る」 | Fashionsnap.com
既に多くの方がご覧になっていると思います。
僕もこの記事は大変面白い内容だと思いました。色々と示唆に富んでいるので、ファッション業界に限らず様々業種の人に参考になるかと思います。ただ、少しだけ引っ掛かるところがありました。
それが「ファッション」と「感動ビジネス」という言葉の意味について。今回はその点について少し書いておきたいと思います。
せーの代表・石川涼さんのインタビュー
僕は、ファッションやアパレルはこれから終わっていくと思っています。残るのは「感動ビジネス」。ファッション業界は今すでに衰退していて、ゼロにはならなくてもいずれ稼げる産業ではなくなります。ファッションがコミュニケーションツールではなくなってしまったんですよね。
引用元:【インタビュー】せーの代表 石川涼「ファッションは終わり、感動するものだけが残る」 | Fashionsnap.com
この引用した箇所で使われている「ファッション」と「感動ビジネス」という言葉の使い方に、なんだか違和感を感じるなと。
どこが気になるのか、1つずつ説明していきます。
ファッションは終わったのか?
まず、「ファッションが終わった」ということに関してですが、たぶん終わったとか、終わっていないだとかそうゆう話ではなく、中川淳一郎さんがいうところの“バカと暇人”の向いている方向が単に変わっただけなんだと思います。
つまりは、社会的な“流行”の風向きが変わっただけなんです。
以前読んだ以下の記事で、ものすごくわかりやすい説明がなされています。
参照:「スマホ普及により”ヤンキー化”と”受け身化”が進む」徳力基彦氏と尾原和啓氏が語る、次世代のネット | ログミー[o_O]
まあ、言い方が言葉としてあんまりよくないんですけど。実際に日本でウェブサービスがユーザー数でブレイクするには、エリートではなくヤンキー側の人にちゃんとウケないとブレイクしないということが、日本のインターネットサービスでは顕著だなっていうのがありまして。
引用元:「スマホ普及により”ヤンキー化”と”受け身化”が進む」徳力基彦氏と尾原和啓氏が語る、次世代のネット | ログミー[o_O]
ここで書かれているのは、ウェブサービスだけに絞った内容ですが、日本で「流行」するものは、全てこの公式に当てはまると思っています。
「流行する」ということは「バカと暇人」・「ヤンキー層」に見つけてもらうこと。お笑い芸人の有吉さんも言っていましたよね、「ブレイクするとはバカに見つかること」だと。
あまり言葉がよくないので、僕もこの表現はあまり使いたくないのですが、正にそうゆうこと。つまり、「バカと暇人」・「ヤンキー層」にどれだけガッツリと引っ掛かるかが大切なんです。
90年台から00年代前半にかけては、まさにこの層がファッションの方向を向いていたわけです。しかし、今はそうではなくなったと。
それはなぜか?ファッションよりも刺激的なものが出てきてしまったからです。
じゃあ彼らが見向きをしなくなったからといって、「ファッションが終わった」ことになるのでしょうか?
結局は、この流動性の激しい層の人たちが動いただけであって、じゃあその内側に内在するもの、本当に「ファッション」が好きな人々の感性が衰退しているかといえば、全くそうではないと思います。
むしろ更に多様性が生まれ、ものすごく急激にひろがりを見せているとすら僕は思います。
たまたま、「何でもいいから強い刺激を求めるという人間」に、ネットやスマホ上の新しいコンテンツのほうが刺激の強いものとなっていったということなのでしょう。
だから、「ファッション」がわかりやすく売れて、わかりやすくお金を生むものではなくなった。単にそうゆうことなんだと思います。
感動ビジネスとはなにか?
ーこれから必要とされる「感動ビジネス」とは。
瞬間的に「かわいい」「かっこいい」「面白い」というもの。「gonoturn」もそのひとつで、そういった感覚は言語が必要ないですよね。ウェブは世界中全部つながっているし、そういうビジネスに寄っていった方がいい。僕らはこれから、感動を売っていきたいと思っています。
引用元:【インタビュー】せーの代表 石川涼「ファッションは終わり、感動するものだけが残る」 | Fashionsnap.com
では、インタビューの中で語られている「感動ビジネス」というのは何なのでしょうか?
もうお分かりだとは思いますが、これはつまり、「バカと暇人」・「ヤンキー層」が食付きやすい「エンタメ・暇つぶし」要素の強い刺激物を指すのだと思います。
つまり、別にいまに始まったわけでもないと。
インタビューを読む限り、この「感動ビジネス」の中にはソシャゲやバイラルメディアのようなモノも含まれると思うのですが、この流れっていうのも、スマホとLINEの普及を契機にして、「流行」を生み出す層の人達が「シェア」という動作を行うようになったから生まれた潮流であり、同様のことは昔から行われていました。
最近では、ニコ動のような閉鎖的な空間の中だけでなく、そこを飛び出して、その他のSNSやコミュニケーションツールの中でも頻繁にそのパーマリンク(キャプチャ画像・コピー動画など)が飛び交うようになり始めたということが、その象徴だと思います。
感動ビジネスが本当の意味で残るのかどうか?
また、「感動ビジネス」というものに、本質的な部分が内在するかといえば、それは怪しいのではないかと僕は思います。
少なくとも今の「感動ビジネス」は、とにかく他のモノよりも刺激の強いものを与えようと躍起になっており、外側をバッキバキに固めて中がスカスカという状態も散見されます。
受け手側も、刺激の強いものを消費したいだけにすぎなくて、“文化”を守りながら生み出そうという気概はありません。
今のまま「刺激物の供給・消化」という一点だけに注力され続ければ、きっと「感動ビジネス」もまた、新しい分野でもっと刺激の強いものが生まれれば、そちらへ移り変わられてしまうという運命にあるのでしょう。
最後に
このスパイラルを有益と見るか、無益とみるか、それはこの文章読んでくれたあなた次第です。
答えはありません。
大衆に刺激物を与えつづけ、彼らを魅了し続けるのも大変素晴らしいコトだと思います。逆に本質的な部分を追い求めて、生み出して守っていくコトも素晴らしい生き方だと思います。
あとは、本当に自分が追い求め続けたいことはどちらなのか、ということ。
この記事が、皆さんのそんなことを考える切っ掛けとなってくれれば幸いです。
それでは今日はこのへんで!
ではではー!