どうも鳥井(@hirofumi21)です。
突然ですが、この本すごく面白いです。
これを読みながら、「とても川上さんらしいなぁ」って思うんですよね。
でも「川上さんらしさ」ってなんだろうなと。話したこともなければ、会ったこともない方なのに、なんで自分はこれを読んで川上さんらしいと思うんだろうなと不思議に思うわけです。
この本を読みながら、面白いと同時に“安心感”さえ覚えるんですよ。「あー、今日も川上さんは川上さんらしい」と。
今日はそんな人の“らしさ”について自分なりに少し考えてみようと思います。(※本書の書評記事は近日中に書きます。)
“らしさ”とは他人が決めるもの。
きっと、“らしさ”とは他人が決めるものなんです。自分で決められるものじゃない。
僕も幸いな事に、「あの記事は鳥井さんらしかった。」「あの記事は鳥井さんらしくない!」などなど、最近“らしさ”に言及してもらうことが増えてきました。
でも僕自身、「鳥井らしさはこれです!」って基準を示したことは一度もない。
それでも、このブログの読者の皆さんの中には既に鳥井(隠居系男子)らしさはあって、その基準にどれぐらい当てはまるかによって各自で判断してくれているわけです。
続けること。出会い続けてもらうこと。
じゃあ、その“らしさ”というのはどうやって作られて、どうやって浸透しているのかといえば、結局どれだけその人もしくはその人の作ったコンテンツと出会ってくれたかということなんですよね。
いくら大きくバズった記事を書いたライターであっても、たった1回だけでは、その人らしさは形成されません。たとえそれが、どれだけ色のある記事であったとしても、です。
受け手側が何度も見続け、読み続け、聞き続けてくれて初めて形成されるものなんです。
そう、だから“らしさ”というのは、究極続けるしかない。そして、色々なところで発信し続けるしかないんだと思います。
参照:タッチポイントを増やす。個人が活躍する時代に必要なこと。 | 隠居系男子
続けるためには、無理をしないこと。
そして、続けるためには、無理をしないこと。“らしさ”のためにキャラ作りなんてしないことです。
日々思ったことや、考えていることを常に出し続けていくことが一番大切なのではないでしょうか。時には、ひどく下衆いネタだったり、下ネタだったり、ミーハーな話だったり、そんなことを出していっても良いと思います。
その方が絶対に出し続けられるはずですし、そういうくだらないネタにその人らしさというのが滲み出てくるということもあるので。
上記で紹介した「ニコニコ哲学-川上量生の胸のうち」でも結構エグい発言もいっぱいあって、それが川上さんらしかったりもする。
決して無理して出していく必要はないと思いますが、自然と自分の中に湧いてくることであれば、それを無理のない範囲で自然に出していけばいいのだと思います。
最後に
結論としては、「自然体で続けることが一番大事!」という至極当たり前な話になってしまいましたが、本当にそう思います。
そしてこの話をメディアに当てはめると、まさに以下の記事に書いたような話に繋がっていくのでしょう。
参照:WIRED編集長のインタビューから考える、今の時代に受け入れられるメディアとは? | 隠居系男子
興味がある方は、ぜひ合わせて読んでみてください。
それでは今日はこのへんで!
ではではー!