宮崎駿監督引退記者会見をみて思うこと

夢と狂気の王国

本当にご苦労様でした、どうも鳥井(@hirofumi21)です。

今回は、先日行われた宮崎駿引退記者会見をみて、自分なりに感じたところを書いてみようかと思います。各質問を引用して書いているので、かなり長い記事になってしまいました。将来の自分へあてて書いたつもりです。「2013年9月6日にお前はこんなことを考えたんだ」っていうことを残しておきたくて、一応このブログに上げておきます。なので、興味のある方だけ読んでくだされば十分です。

引用は、全てスタジオジブリ非公式情報サイト【ジブリのせかい】から引用しています。

「ジブリのせかい」で今回の記者会見の全文書き起こしを読むことが出来るので、まだ読んでいない方は、こちらから読んでみてください。

宮崎駿 長編映画引退会見 « スタジオジブリ非公式情報サイト【ジブリのせかい】 宮崎駿・風立ちぬ・かぐや姫の物語情報

子供たちへメッセージ

――引退報道を受けて、ファンの子供たちから感謝や「やめないで」という声が届いております。監督から、子供たちへメッセージをいただけますか。

宮崎:
そんなにかっこいいことは言えません。なにかの機会があったら、私たちが作った映画を観てくだされば、何か伝わってくれるかもしれません。それに留めさせてください。

一発目からこの質問するのかと、インタビューする側の人間はなんて残酷なんだろうと思いましたが、この時点で既に号泣してしまいました。

『風の谷のナウシカ』の続編

――『風の谷のナウシカ』の続編を作る予定はありますか?

宮崎:
それはありません。

「それはありません。」と躊躇なくハッキリと言ったところをみると、やはり庵野監督での「ナウシカ2」は着々と準備が進んでいるんじゃないかと勘ぐってしまいました。

引退を正式に決めたタイミング

――引退を正式に決めたタイミングと、鈴木さんとどのような会話をしたか教えてください。

宮崎:
よく覚えてないんですけど、「鈴木さん、ぼくはもう駄目だ」と言ったことはあります。それで、鈴木さんが「そうですか」って。
それは、何度もやってきたことなんで、そのときに鈴木さんが信用したかどうかは分かりませんが。
ジブリを立ち上げたときに、こんなに長く続ける気がなかったことは確かです。
ですから、何度も、もう引きどきなんじゃないかとか、辞めようという話は、ふたりでやってきましたので。
今回は、ほんとうに次は7年かかるかもしれないと、鈴木さんもリアリティを感じたんだと思います。

鈴木:
ぼくも正確に覚えているわけじゃないんですけども、『風立ちぬ』の初号があったのが6月19日なんですよ。
たぶん、その直後だったんじゃないかと思うんですよね。
それで、そういう話があったとき、確かにこれまでもいろんな作品で、「これが最後だ」「これが最後だと思ってやっている」っていろんな言い方あったんですけどね、そのときの具体的な言葉は忘れましたけど。
今回は、本気だなっていうことを、ぼくも感じざるを得ませんでした。
というのは、ぼく自身がですね、『ナウシカ』の製作を始めてから数えると、今年がちょうど30年目にあたるんですけどね、その間ほんとうにいろいろありました。
ジブリを続けていく間にですね、宮さんも言ったように、これ以上やるのはよくないんじゃないか、やめようか、やめまいかとか、いろんな話があったんですけどね。
それまでの30年間、緊張の糸っていうのは、ずーっとあったと思うんですよ。その緊張の糸がですね、宮さんにそのことを言われたとき、少し揺れたんですよね。
変な言い方をすると、ぼく自身が少しホッとするところがあったんですよ。
だから、若いときだったら、それを留めさせようとか、いろんな気持ちも働いたと思うんですけど。
自分の気持ちのなかで、括弧付きなんですけど、ほんとうに「ご苦労様でした」という気分が湧いた? そういうこともあるような気がするんですよね。

この鈴木さんの「緊張の糸が揺れた」っていう話は、ものすごく響いてきました。決してネガティブではなく、前向きなんですが、2人の関係性をうまく表現しているというか、そこにあったのは本当の「ご苦労様でした」だったんだろうなと。

鈴木さんの思い

――鈴木さんに質問です。『風立ちぬ』で最後になる予感はありましたか?『ポニョ』で終わらせたくないという思いはなかったのでしょうか?

鈴木:
『風立ちぬ』っていう作品が最後になる予感はあったのかっていう、そういうご質問だと思います。
ぼくはですね、宮さんと付き合ってきて、彼の性格からしてですね、ひとつ思ってたことは、ずっと作り続けるんじゃないかなって、そう思ってました。
ずっと作り続けるっていうのは、どういうことかと言ったら、死んでしまうまで、その間際まで作り続けるんじゃないかって。
まあ、すべてをやるってことは不可能かもしれないけど、何らかの形で映画を作り続ける。という予感の一方で、宮さんという人はですね、ぼくが35年付き合ってきて、常々感じてたんですけど、何か別のことをやろうっていうときに、自分で一旦決めて、それをみんなに宣言をするって人なんですよ。
もしかしたら、これを最後に、それを決めて、宣言して、それで別のことに取り掛かる。そのどっちかだろうって、正直いうと思ってましたね。
それで『風立ちぬ』って作品を作っていって、完成を迎え。その直後に、さっき言ったようなお話が出てきたんですけど。
そうすると、それはですね、ぼくの予想のなかに入ってましたよね。だから、素直に受け止めることができたっていうんですかね。

確かに、この宮崎駿の二面性は、今まで幾度と無く鈴木さんの話に出てきた気がします。鈴木さんもいつかこの日が訪れることをしっかりと覚悟して待っていた、という感じでしたね。

宮崎駿作品に込められた思い

――これまで作ってきた作品で最も思い入れのある作品は? すべての作品において、こういうメッセージを入れようというのはありますか?

宮崎:
いちばん自分のなかに、棘のように残っているのは『ハウルの動く城』です。
ゲームの世界なんです。でも、それをゲームではなくドラマにしようとした結果――ほんとうに格闘しましたが、スタートが間違ってたと思うんですけど、自分が立てた企画だから仕方がありません。

それで、ぼくは児童文学の多くの作品に影響を受けて、この世界に入った人間ですので。
今は児童書にもいろいろありますけど、基本的に子どもたちに「この世は生きるに値するんだ」っていうことを伝えるのが、自分たちの仕事の根幹になければいけないと思ってきました。それは、今も変わっていません。

「この世は生きるに値するんだ」この言葉も色々なインタビューで宮崎さんが答えてきた言葉です。

もともと宮崎駿というひとは破壊衝動がありニヒリストなんじゃないか、と言われることも多かったんですが、まさにこの「この世は生きるに値するんだ」ってことを伝えたいが為のニヒリズムなんだって、僕はいつも解釈してきました。大きな矛盾なのかもしれないけれど、そこには、しっかりとした哲学があるんだと思います。

ジブリの今後

――長編アニメーションを引退されるということですが、美術館の短編に関わることは? それとジブリの今後はどうなるか、鈴木さんにお伺いしたいです。

宮崎:
「引退の辞」に書きましたように、ぼくは自由です。やってもやらなくても自由なので、今そちらに頭を使うことはしません。
まえからやりたかったことがあるので、そっちをやろうと。とりあえず。
それはアニメーションではありません。

鈴木:
ジブリはこれからどうするんだ、というご質問だと思うんですけど。
ぼくは、今現在、繰り返しますけど、『かぐや姫』のあと、来年の企画に係わっています。
それで、ぼくもですね、年齢が宮さんよりけっこう若いんですけど、現状65歳でありまして。
それで、このジジイがですね、いったいどこまで係わるのかという問題があるんですけどね、このジブリの問題というのは、今ジブリに居る人の問題でもあると思うんですよ。
だから、その人たちがどう考えるのか。そのことによって決まるんだと思っています。

宮崎:
ジブリの今後についてはですね、やっと上の重石がなくなるんだから、「こういうものやらせろ」っていう声がですね、若いスタッフからいろいろ鈴木さんに届くことを、ぼくは願ってますけどね。ほんとうに。
それがないときは駄目ですよね、鈴木さんが何をやっても。
それで、ぼくらは30のときも40のときも、やっていいんだったらなんでもやるぞ、っていろんな企画を抱えていましたけれど、それを持っているかどうかにかかっていると思います。門前払いを食わす人ではありません、鈴木さんは。
そういうことで、今後のことは、いろんな人間の意欲や、希望や、能力にかかっているんだと思います。

この部分のメッセージ性の強さっていうのは、ハンパなかったですね。

べつにジブリに限った話ではないと思います。宮崎駿はジブリだけでなく日本のアニメ業界のトップに立っていたような人であるはずですから。

鈴木さんがよく言うのですが、「今日本でアニメ作っている人って可哀想だ。宮崎駿っていう天才が現役で存在してしまっているから」と。

今回、宮崎駿という天才が現役を退いたということは、日本のアニメの時代が変わるってことだと思います。きっと、宮崎駿が作ってきたようなアニメではダメなんでしょう。次はまた、全く違う新しいタイプのアニメが出てこないといけないと思うし、出てくると信じています。

それぐらいこの日本という国は、才能に溢れた人間がたくさんいると希望を持っています。ぜひ、期待したいところですね。

ぼくは町工場のオヤジです。

――具体的に今後の活動を教えてください。これから違う形で、いろんなことを発信していくことがありますか?

宮崎:
やりたいことがあるんですけど、やれなかったらみっともないので、何だか言いません。
それから、ぼくは文化人になりたくないんです。ぼくは町工場のオヤジです。それは貫こうと思っているので、発信しようとか、あまりそういうことを考えないです。文化人ではありません。

「町工場のオヤジ」っていうのは、いい表現ですよね。日本が目指すべき方向性も、もっとたくさんの「町工場のオヤジ」を作ることではないんでしょうか。

町工場のオヤジは確かに、規模感はでかくもないし、いいイメージはないかもしれません。しかし、彼らはちゃんとプライド持って何かを作っているし、しっかりと自立しています。それに、自分の思想だって持っている。

この不景気が続いてきた日本の中で中小零細企業と呼ばれ、吹けば飛ぶような会社だ!なんて揶揄されることも多い町工場ですが、それが本来の日本人の強みではないのかなーと最近は強く感じています。

2人の老いた青年

――宮崎作品は商業的成功と芸術性の評価の両方納めましたけど、宮崎作品のスタイルをプロデューサーの言葉で表現していただければと思います。そして、宮崎映画が日本映画界に及ぼした影響を解説いただければ。

鈴木:
これいい訳かもしれないんですけど、そういうことあまり考えないようにしているんですよね、ぼく。
それで、どうしてかっていうと、そういうふうにものを見ていくと、目の前の仕事が出来なるなるんですよ。だから、ぼくなんかは、現実には、宮崎作品に関わったのはナウシカからなんですけどね、そこから約30年間、ずっと走り続けてきて、それと同時にですね、過去の作品をやっぱり振り返ったことがなかったんですよ。
それが多分、仕事を現役で続けるってことだとぼくは思ってたんですよね。だから、どういうスタイルでその映画を作っているのか、ふと自分の感想として思うことはありますけど、なるたけそういうことは封じる? なおかつ、自分たちが関わって作ってきた作品が世間にどういう影響を与えたか、それもですね、ぼくは実はあまり考えないようにしていました。これがお答えになるかどうか、そういうことです。

宮崎:
ええ、まったく、ぼくも考えてませんでした。あの、採算分岐点にたどりついたって聞いたら「よかった!」って、それでだいたい終わりです。

――長編アニメで作りたい世界観が表現できたという達成感はありますか? もし悔いが残っているとしたらどのような部分なのでしょうか。

宮崎:
その総括はしてません。自分が手抜きしたというふうな感覚があったらつらいだろうと思うんですけど、とにかくたどり着ける所まではたどり着いた、というふうにいつでも思っていましたから、終わった後は、もうその映画は見ませんでした。駄目なところは分かっているし、いつの間にか直っているとか、そういうことも絶対にないんで、振り向かないように、振り向かないようにやっていました。

インタビューしている側の記者さんたちは、自分の倍近い年齢のおじいさん2人が目の前に座って「引退」という二文字を掲げて会見をしているから、なんか勘違いしているのかもしれないけど、あの席に座っていた2人は、外見が老人なだけで、中身は20代の青年ですよ。完全に。

売れる記事を書くために、「引退」らしい振り返りや総括した言葉を引き出したいのかもしれないけど、彼らの心のなかでは青年だった時の気持ちがそのまま残っている、そして今も現役。ただ「老い」だけには勝てないから、じゃあ一旦ここで区切りをつけて違う形でまたやりますか!ぐらいにしか思っていないはずです。

情報量が増えると、表現のポイントはぼんやりする

つまり昔の映画はですね、そこでしゃべっているところにしかマイクが向けられませんから、まわりでどんなにいろんな人間が口を動かしてしゃべってても、それは映像には出てこなかったんです。その方が世界は正しいんですよね。僕はそう思うんです。それを24チャンネルになったら、あっちにも声を付けろ、こっちにも声を付けろ、それを全体にばらまく結果ですね、情報量は増えているけれども、表現のポイントはものすごくぼんやりしたものになっているんだと思います。

それで、思い切って、美術館の短編作品をいくつかやっているうちに、いろいろ試みていたら、これでいけるんじゃないかっていうふうに、私は思ったんですけど、プロデューサーがまったくためらわずに「それでいこう」と言ってくれたのが、ほんとうに嬉しかったですね。それから、音響監督もまさに同じ問題意識を共有できてて、それができた。こういうことって滅多に起こらないと、ぼくは思います。

それで、これも嬉しいことでしたが、いろんなそれぞれのポジションの責任者たちが、例えば色だとか背景だとか、それから動画のチェックをする人とか、それぞれいろんなセクションです。制作デスクの女性も、音楽の久石さんも……、って一番最後に言うのは問題があるんですけど。何かとってもいい、円満な気持ちで終えたんです。

「情報量は増えているけれども、表現のポイントはものすごくぼんやりしたものになっている」っていのは、グサッときましたね。今の時代を生きる僕たちは本当に常に意識し続けなければいけないことだと思います。「的を絞り、選択肢を減らせば、それだけポイントが鮮明になってくる。」ということは、もう何があっても忘れてはいけないこと。

でも、よくよく考えればそれが当たり前で、みかんだってポンカンだって、大きければそれだけ大味になるし、小さいほうが甘くて美味しい。なんでもデカけりゃいいってもんじゃないですから。笑

日本のディズニーではない。

――「熱風」で憲法について発信した理由は? それから、星野社長に伺います。宮崎監督が「日本のディズニー」と称されることがありますが、そのように表現されることにどう感じますか?

宮崎:
熱風から取材を受けまして、ぼくは自分の思っていることを率直に喋りました。もう少し、ちゃんと考えてきちんと喋ればよかったんですけど、「あー、もう、ダメだよ」とかそういう話しかしなかったもんですから、ああいう記事になりました。別に訂正する気も何もありません。

じゃあ、それを発信し続けるかといわれても、ぼくはさっきも言いましたように、文化人ではありませんので、その範囲でとどめていようと思います。
あとの質問は、星野さんに。

星野:
実は「日本のディズニー」という言い方は、監督がしているわけではありません。2008年に公の場で、同じ質問が外国人特派員の記者からあったときに、監督がお答えになってるんでけども、ウォルト・ディズニーさんはプロデューサーであった。で、自分の場合はプロデューサーがいると。鈴木プロデューサーのことだと思うですけど。
で、ウォルト・ディズニーさんは、たいへん優秀なクリエイター、ナインオールドメン――9人のアニメーター。たいへん優秀な人材に恵まれていた。自分は、ディズニーではない、っていうふうに明確におっしゃっています。
わたし自身も、ディズニーには20年近くいましたし、ディズニーの歴史とか一生懸命勉強するなかで、全然違うなと感じております。そういう面では、日本のディズニーではないんじゃないかなと思っています。

――熱風の取材でしゃべろうと思ったのはなぜですか

それはですね、鈴木プロデューサーがですね、中日新聞で憲法について語ったんですよ。そしたら鈴木さんのところに、いろいろネットで脅迫が届くようになった。それを聞いて、鈴木さんに、冗談でしょうけど「電車に乗るとやばいですよ、ブスッとやられるかもしれない」というふうな話があってですね。

これで、鈴木さんの腹が刺されてるのに、こっちが知らん顔しているわけにはいかないから、ぼくも発言しよう、高畑監督にもついでに発言してもらってですね、3人いると的が定まらないだろうという話で、発言しました。それが本当のところです。ほんとに脅迫した人はどうも捕まったらしいですが、それは詳細は分かりません。

ウォルト・ディズニーの話と、熱風の改憲議論、これが一緒に語られたのは、ものすごく良かったなーと思っています。

なぜかって、ジブリは三人で作品を創っているんですよ。それがジブリ。こうやって刺される的が定まらなくなるって冗談半分で言って、三人が並列に並んで、信頼し合っている感じがたまらなくジブリっぽい。

そこには、決して一人のヒーローがいるわけじゃないという…。アメリカは一人のヒーローを創りあげて、話を単純化させ、それを伝説として語りたがるけど、日本はそうゆう文化じゃないんだなーって改めて伝わってきた気がします。

発信ではなく受け取ったんだ、受け継いだんだ

――また、子どもたちに「この世は生きるに値する」ということを伝えることが根底にあるとおっしゃいましたが、この世をどう定義していますか?

宮崎:
「この世が生きるに値する」というご質問がありましたけど、ぼくは自分の好きなイギリスの児童文学作家で、もう亡くなりましたけど、ロバート・ウェストールという男がいまして、その人が書いたいくつかの作品の中に、ほんとうに自分の考えなければいけないことが充満しているというか、満ちているんです。
この世はひどいものである。その中で、こういうセリフがあるんですね。「君はこの世に生きていくには、気立てが良すぎる」。そういうふうに言うセリフがありまして、それは少しも褒め言葉じゃないんですよ。そんな形では生きていけないぞお前は、というふうに言っている言葉なんですけど。それは、ほんとうに胸打たれました。

つまり、ぼくが発信しているんじゃなくて、ぼくはいっぱい、いろんなものを受け取っているんだと思います。
多くの書物というほどじゃなくても、読み物とか、昔見た映画とか、そういうものから受け取っているので、ぼくが考案したものではない。
繰り返し繰り返し、この世は生きるに値するんだというふうに言い伝え、「本当かな」と思いつつ死んでいったんじゃないかというふうにね。それを、ぼくは受け継いでいるんだと思っています。

今回の記者会見で一番よかったところはやはりここでしたね。宮崎駿という人間の生き様が全て詰まっていたような気がします。
これだけ「発信」してきた宮崎駿という人間が、「僕は発信しているんじゃなくてたくさんのものを受け取ってきたんだ、受け継いできただけなんだ。」ってキッパリと言い切るところ。

これがホンモノじゃなかったら、何がホンモノなんだろうって思うぐらい、素敵な最後の言葉だったと思います。

「君はこの世に生きていくには、気立てが良すぎる」「ホントはこの世の中はもっと残酷なんだ。」「だから僕がこれを君に見せてやる」「こんなにも残酷なんだ、ホントは」「しかし、それでもこの世は生きるに値する」この無限ループが宮崎駿なんじゃないかなって。最近はそう思います。

最後に

今回の記者会見、驚くほど海外マスメディアの記者が多かったですね。それもアジア圏だけではなく、フランスやイタリアからの記者さんも質問していました。

本当に世界中から愛されていた監督なんだなと、思わぬカタチで最後に証明してくれましたね。

ただ、記者の質問が全体的に残念な感じは正直ありました。もちろん宮崎駿を追っている専属の記者ではないので、そりゃ当然なんですが、「それだったらあれに載ってるよ」と思ってしまうような質問が結構ありました。

記者会見なんてそんなもの、と割り切ってしまえばいいんですが、やっぱりこれだけ思い入れが強くなると、あんな風に質問責めされて、一瞬悩みながらも真面目な答えを絞りだす宮崎駿さんを見ていて少し辛かったです。たぶん、貧乏ゆすりもいっぱいしていただろーなと。

ジブリのアトリエかどこかで、宮崎駿、高畑勲、鈴木敏夫、そこにCutの渋谷陽一っていうメンツで、最後に「引退」をテーマにして、和やかなムードで対談とかしてくれたら最高です。

そんな淡い期待を込めながら、このブログもそろそろ終えようかなと思います。

もし最後まで読んでくれた方がいれば、ありがとうございました。

それでは今日はこのへんで!

ではではー!

鳥井弘文

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