『かぐや姫の物語』が若者に評価されないことに対する危機感。

仕事道楽 新版――スタジオジブリの現場 (岩波新書)

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

最近、ジブリに飢えています。時にやってくる、この感じ。ジブリもしくは井上雄彦作品を猛烈に欲する時が不意に訪れるんです。最近は完全に諦めています。むしろ自分の感情に正直になろうと…。

さて、そんな中ご紹介するのは、先日発売されたばかりの鈴木敏夫著『仕事道楽 新版――スタジオジブリの現場 (岩波新書)』。

2008年に発売された『仕事道楽』に、新たな1章が追加されて、『崖の上のポニョ』から、『思い出のマーニー』までの出来事が書かれています。

今回はこの中で語られていた、「若者に評価されなかったかぐや姫」という部分を取り上げます。、個人的にもかなりショッキングな内容だったので、備忘録の意味も込めて書き残しておきたいと思います。

ストーリーを追って、表現を気にしない若者たち。

話は、『かぐや姫の物語』が世間ではどのように受け入れられたのか、について。少し長いのですが、鈴木さんの言葉をそのまま引用してみます。

ぼくはこれまで、映画公開にあたってはこのくらいのお客さんが来てくれるだろうと予想し、あまり外れたことはありません。ただ『かぐや姫』だけはわからなかった。

映画興行としていうとやはりちょっと厳しかったですね。興行収益25億円。とてもおもしろがってくれた人たちがいた反面、一般的な広がりがそれほどでもなかった、娯楽映画としてはやはり長すぎるという問題があったと思いますよ。

でも公開してしばらくしてから観客が増えてくるという不思議な動き方をしてもいました。この映画のありようと関係しているんでしょう。表現に感心のある人は本当に関心したんですよ。僕としては何と言っても高畑さんが思いの丈をぶつけた映画なんですから、それはそれでいいと思っています。そういう意味では結果に対してショックはありません。

実はショックだったのは別のこと。若い人に多かった感想です。「何だ、月へ帰っちゃうのか」、こんな感想を言ったのは一人二人じゃない、つまり単にストーリーを追っている。表現を気にしていない。

僕は今までずいぶん映画を観てきて、ストーリーなどはおぼろげだが、シーンはいまでもハッキリ思い出せるという経験をしてきています。表現の仕方にこそ影響を受けてきた。そういう観方をしないのか。映画に期待しているものがまるで違ってしまっていることにショックを受けたんですよ。

現代は、どう表現しているのかがすっ飛んでしまって、お話の複雑さのほうにだけ感心が向いている、そんな時代なんだなということを、改めて思い知らされました。

ストーリー偏重の若者が増える危機感。

このくだりを読んで、僕もかなりショックでした。

『かぐや姫の物語』は本当に大好きな作品です。これまで観てきた映画の中でも一番と言っても過言ではないぐらい大好きな作品で、それは以下の記事でも書いた通りです。

参照:『かぐや姫の物語』は完璧で美しく、虚しくて残酷な映画。 | 隠居系男子

この記事を書いたことにより、幸いにも色々な方々とこの映画について語らせてもらいました。この記事をキッカケにご連絡を頂いて初めてお会いした方もいたほどです。

皆さん、「表現」の方に意識を向けていて、鈴木さんのお話の中にあるような受け止め方をしている方はいなかったのですが、確かにこうゆう評価をする若者もたくさんいるんだろうなということ容易に想像ができます。

リンクを貼る気すら失せるので、気になる方は各自ググって欲しいのですが、確かに当時「2ちゃんまとめ系」では、かぐや姫の物語を酷評する声がかなりたくさんまとめられていました。

最近流行りの映画に「あなたは最後に騙される…」といった宣伝文句が多用されていることも、世のボリュームゾーンがストーリー偏重であることの証です。

でもこれだけはハッキリと言っておきたいです。大事なところはそこじゃない。

大切なのは、小手先のストーリーなんかじゃありません。難解なストーリーばかり追ってたらダメですよ。表現も、目に鮮やかなアートだったり、ドンパチした表現だったり、エログロばばかりを追ってたら絶対にダメになる。少なくとも僕はそう思います。

最後に

井上雄彦さんの『バガボンド』も表現重視の作品です。言ってしまえば吉川英治作『宮本武蔵』の焼き直しですから。

でも、ストーリーではなく表現やプロセス、主人公の心の移り変わりや機微にお重きを置いているからこそ、そに面白さがあるし、毎回期待してしまう。

僕は今日に至るまで、日本人は今でもこういった表現やプロセスに意味を見出す国民だと思っていました。

参照
『日本的想像力と「新しい人間性」のゆくえ』が新しくて面白い! | 隠居系男子

『ジブリ汗まみれ』の中で中田ヤスタカが語った、ボーカロイド論が”日本らしい”。 | 隠居系男子

しかし、実はもう最近の若い人たちの間ではそうではなくなり始めているのかもしれません。この辺の根幹的な価値観でさえも、急速に欧米化してしまって、グローバルの方向へ向かっているのでしょう。

「初音ミク文化」などをみて、まだまだ日本の若い人たちの間にもこの考えは根付いていると思っていましたが、一部のオタク文化やニコ動文化だけがそうであって、それはむしろ稀有な存在。オタク人口以外の圧倒的大多数の人達はもう、そうじゃないのかもしれません。

でも、だからこそ僕らのような「日本的な表現やプロセスにこそ意味がある」と思っている若者達が、日本の伝統文化を継承をしていかないといけないなとも強く実感した次第です。

より一層、このブログや「灯台もと暮らし[もとくら]|これからの暮らしを考える情報ウェブメディア」を頑張っていこうと思います。

【かぐや姫の胸の内】写真家・周東明美の光と物語のチベット | 灯台もと暮らし

【かぐや姫の胸の内】「盛り上がってたら盛り上げてた」―サムギョプサル和田― | 灯台もと暮らし

それでは今日はこのへんで。

ではではー。

追記:『仕事道楽』書評の続きを書きました。
ジブリがディズニーのようなテーマパークを作らなかった理由。 | 隠居系男子

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