どうも鳥井です。
最近よく思うのですが、メディアの一つの役割って「本当はやりたいと思っているけれど、プライドや羞恥心が邪魔してできないことに対して、言い訳を与えてあげること」だと思います。
今日はそんなお話です。
「やりたいけど、できない。」を形に。
やりたいけど、できない。
言いたいけど、言えない。
書きたいけど、書けない。
撮りたいけど、撮れない。
SNSを使うことが当たり前になった昨今、周りの目を気にしてそんなことがドンドン増えてきていると思います。
そんな欲求に、都合の良い言い訳を与えてあげること。
舞台とまでは言わなくとも、適切な「お立ち台」を用意してお膳立てすることがメディアの一つの役割なのではないかなと。
例えばインタビューだったら、普段自分のSNSやブログではなかなか書くことができない話(自慢話とか失敗話)を、容易にできるような空間を作り出すことがとても重要になってくる。
空間と素材をうまく与えながら「ここでは表現してもいいんだよ」っていう雰囲気を作り出すこと。
読み物としてのメディアだけじゃなく、若い子の間で流行っているMixChannelのような広義のメディアもそうですよね。
もちろん、Instagramというプラットフォームもわかりやすい事例だと思います。
若い子を筆頭に、人の中に必ず存在する自己顕示欲に対してうまく表現することができる場を与えている。
最近流行っていた「恋ダンス」や「PPAP」なんかもそうかもしれません。
空間と素材をうまく与えながら、ここでは表現してもいいんだよっていう雰囲気を作り出すこと。
そんな場を作り出せているメディアは、やっぱり強いですよね。
「タモリさん」的な存在。
「北欧、暮らしの道具店」を運営しているクラシコムの青木さんは、このようなメディアの役割を、「タモリさん」みたいな役割と言い表していました。
少し該当部分を引用してみます。
では、どうすれば話を聞いてもらえるのでしょうか。考えられる方法のひとつは、すぐ横に「タモリ」さんに居てもらうのです。『笑っていいとも!』の図、そのままですね(笑)。
タモリさんが「休日は昭恵さんと過ごされましたか?」「最近苦労したことは?」と聞くことで、安倍総理はそれに応えるかたちで話し出せる。自ら演説的に話すよりも、テレビのバラエティ番組やメディアからのインタビューに登場して、「タモリ」的な存在に「安倍晋三」という生身の存在を引き出してもらうことで、人間味のある回答ができる。その回答によって共感や親近感を醸成しやすくなるのです。
「巨人の悩み」に話を戻すと、企業が「自分では言えないこと、言いにくいこと」のようなサイドストーリーを語るときに重要なのは、視聴者や読者から信頼されている、フェアなコミュニケーションをする人が「聞き役」を担うことなのです。
引用元:広告コミュニケーションを変えるのは「タモリ」と「ありがとう」──北欧、暮らしの道具店が考える、企業と読者の良い関係 – クラシコムジャーナル
適度にいじってあげること。
いかがでしょうか?とても納得感がありますよね。
じゃあ、メディアがタモリさんになるべきだと仮定した場合、今のメディアがタモリさんに追いつけていない部分って何でしょうか?
僕は案外「いじってくれること」だと思います。
いじることをすごくネガティブな事であるかのように捉えている人も多いですが、いじられることで救われることも多々ありますよね。
「いやいやいや、そんなことはない…!」って思う方もいるかもしれませんが、自慢話や失敗談も、ある種のボケですから。
適切に処理してもらったほうが、表現した方の気持ちが楽になるっていうのは間違いなくあると思います。
ただひたすらボケ倒しても、そこにコミュニケーションは生まれません。
最後に
いじるって、実はものすごくクリエイティブな行為だと思うんですよ。
批評ともまた違う。
以前も似たような話を書いたことがありますが、心地よいユーモアやいじりがその場に存在するかどうかで、メディアの雰囲気って180度変わってくると思います。
参照:暮らしやライフスタイル系に今必要なのは、皮肉でありパロディ。 | 隠居系男子
やりたいことを全力でやらせてくれる、その上で適切にいじってもくれる。
そんなメディアが存在したら鬼に金棒な気がします。
やっぱり、メディアは「タモリさん」を目指すべきなのかもしれませんね。
それでは今日はこのへんで。
ではではー!