僕にとって今年一番の学び。

どうも鳥井です。

今年も残すところ1週間を切りました。

今年を振り返る記事が増える中で、僕も今年一番の学びとは何だったかなと振り返る内容の記事を書いてみようと思います。

色々な学びがあった中で、今年一番印象に残っているのは「人は、皆が知っていることの新しい部分を知りたがっている」というお話。

2016年は、とにかくこの話題を色々な人たちから学ばせてもらった1年でした。

人は、皆が知っていることの新しい部分を知りたがっている。

一番最初は確か、「スチーヴ」の勉強会で松浦弥太郎さんに教えてもらったことがきっかけだったと思います。

参照:人は既に知っているモノの、新しい部分を知りたがっている。 | 隠居系男子

書き手は、皆が知らないことを、皆が知りたいと勝手に思い込んでいる。

でも実際はそうではない、と。

人は自分が知らないことには興味がなく、もう既に知っていることの新しい部分を知りたがっているのだ、と。

世の中の人気コンテンツは、この仕組みで作られている。

この目線で、世の中のありとあらゆる特集や人気コンテンツを見渡してみると、本当にこの仕組みで作られていることが多いです。

今年発売されたBRUTUSの「漫才」特集だって、Penの「餃子」特集だってそう。全ては既知のモノの新しい部分。

なんだったら、今年大流行した「ポケモンGO」や「シン・ゴジラ」だってそうです。

皆が既に知っているものだけでは、限界があるのでは?

でも、こうやって考えてくると、一つの疑問が生まれてくるんです。

「皆が既に知っているものだけでコンテンツを作ろうとしたら、限界があるのでは?」と。

最近のわかりやすい例だと、「スーパーマリオラン」とか。

確かにマリオは皆が知っているモノであり、それをスマホでプレイするというのは新しい体験ではありますが、もうマリオで何周してんだって話です。

皆の興味関心が細分化してきて、共通認識がドンドン減ってきている昨今、「皆が知っている」は先細りする一方。

いつまでも、ポケモンやゴジラ、マリオのような作品をリバイバルさせていくだけで持つわけがありません。

鈴木敏夫さんの「今はアレンジの時代である。」という言葉。

そんなことを考えていた時に、ふと思い出したのが、鈴木敏夫さんの「今はアレンジの時代である」という言葉。

確かに、皆が知っているモノは減ってきています。

しかし、ある特定の層の人々が既に知っていることは多数存在する。しかも、それはかなり熱狂的なものである。

であれば、ある特定の層の人が既に知っていることと、ある特定の層の人が既に知っていることをかけ合わせて、全く新しいものを作り出してしまえばいいのではないか、と思ったわけです。

その2つの層から小さなバイラルが生まれて、うまくマスまで届けば、今の時代でも必ず新しいヒットは生まれてくる。

人は自分が既に知っているものと同じぐらい、他者が気になっているものを気にしてしまう生き物ですから。

「君の名は。」はアレンジの時代の代表作

2016年、この現象をうまく作り出すことに成功したのが「君の名は。」だと思います。

「君の名は。」は、ポケモンやゴジラ、マリオのように皆が既に知っているというコンテンツではありませんでした。

しかし、「新海誠作品」と「RADWIMPS」という、ある特定の層の人にとっては既に知っているものであり、かなり熱狂的なファンが存在しているものをうまく活用した。

その2つの既に皆に知られている部分を掛け合わせ、全く新しい価値観を作り出したわけです。(注:両者の新しい部分を、足し算したわけではない)

そして、両者の層に対して徹底的にアプローチし(4万人の試写会など)、小さなバイラルを意図的に作り出して、それがマスの層まで届いたのが、この映画のヒットの理由だと思います。

最後に

「アレンジの時代」とは言うけれど、具体的には何と何をアレンジして、それをどこに向けて届けていけばいいのかということが、自分の中では曖昧でした。

しかし、やっとその答えがわかってきたような気がします。

「皆(A層)が既に知っていること」と「皆(B層)が既に知っていること」をかけ合わせて、「皆(A層+B層)が知っていることの新しい部分」を作り出す。

このA層とB層のボリュームをしっかりと見定めて、その計算さえ間違わずに、うまく両方の層に対してアプローチしていけば、あとは自然にバイラルしていくのでしょう。

それが「アレンジの時代」の意味なんだと僕は思います。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

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