年末年始、本当にいろいろな本に目を通しました。
通読したものに限らず、「はじめに」と「終わりに」だけ目を通した本もたくさんあります。
そこで気がついたことは、最近書かれている本は本当にすべて結論が似ているなと。
リベラルか享楽か、そのどちらかの答えに帰結する。
どちらも答えを掲げているようでいて、答えが一切提示されていないとも言えます。
そこでふと気が付きました。
いま大切なのは結論じゃなくて、「問いの立て方」なんだと。
起きている事実を淡々と列挙した上で、どんな問いを立てるのか?
いま売れに売れている『君たちはどう生きるか』だってひとつの問いの立て方であり、その問いを読者と共有しているからこそ多くの共感を生んでいるわけです。
僕にとっての「灯台下暗し」。
つまり、これだけ激動の時代になると結論なんて導き出そうしても、すぐに陳腐化してしまい、答えを提示したところで意味はない。(書き手側が提示できる答えを持ち合わせていないというのも事実。)
だからこそ、「考えるプロセスの共有」とでも言うのでしょうか。その「問いの立て方」が優れている本が良書として選ばれているのでしょう。
そこでふと思い出したのが、僕が通っていた小学校で口を酸っぱくして教えていた「問いを立てなさい」という教え。
小さいころ、本当に耳にタコができるぐらい聞き続けてきた言葉です。
お受験のある少し変わった学校だったので、国語の時間も教科書どおり進んだことはありませんでした。
教科書に載っている題材をもとに、自分で問いを立てさせられる。そして、そのことについてひたすら自分で考えさせられる。
もちろん、自分で立てた問いなので、正しい解答なんて存在しません。
そんな教育を受けてきた中、小学校5年生ぐらいから中学受験対策で「◯◯について、本文から何文字以内で抜き出しなさい。」みたいな明確な解答がある問題を解かされたとき、とても不思議な感覚だったことを今でもよく覚えています。
最後に
今の今まで完全に忘れていた記憶ですが、結局ここに戻ってきたんだなあ、という何とも言えない不思議な感覚です。まさに僕にとっての「灯台下暗し」。
どんな問いを立てるのか?これが今年の大きなテーマだなと思っています。
皆さんは今年、どんな問いを立てますか?
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって何かしらの参考になれば幸いです。