昨日、ふと思い立ってこんなツイートをしてみました。
仮想通貨とポケモンGOみたいなゲームの相性って良い気がするんだよね。歩けば歩くほどレベル上がって、捕まえることでマイニングできるし、ポケモンの数とかの上限が決まっていれば、無限に採掘されることもない。人々がリアルに移動することに繋がるし、地域経済とかもそれで潤いそう。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年1月10日
他にもドラクエコインとかFFコインとか、人気ゲームが発行する通貨には最初からそこに“信用”があるわけだから、本当に一生をRPGゲームで終えるみたいな人もこれからドンドン出てくるのかもなあ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年1月10日
なぜ今までゲーム上の通貨が現実の通貨になりえなかったというと、それは誰もソレを信用しなかったからというだけで。さっきの佐藤さんの言葉をかりると、みんなが一度は想像してみたことだったけど、あくまで戯言でしかなかったみたいな。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年1月10日
戯言の話は、このツイートからです↓
3年前なら議論にすらならなかったことが、ここまでヒートアップするのは面白い。ちょうど時代が転換点にある証でもある。昔なら戯言で済んだ話が、現実味を帯びてきてしまっているからだろうな。
— Katsuaki Sato (佐藤航陽) (@ka2aki86) 2018年1月10日
でも、これだけ仮想通貨という存在が当たり前になってきて、貨幣と交換できる“可能性がある”んだってみんなが理解したタイミングであれば、ゲームの中の通貨をリアルの社会でも信用しようっていう意志を持ったある一定の集団が出てきてもなんら違和感ないよなと。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年1月10日
新たに生まれてくる共同幻想の可能性。
ここからはさらに戯言です。
技術的なことは僕にはわからないですから。
貨幣の歴史って共同幻想であって、「これがお金だ」ってみんなで信じようっていったから貨幣になったっていう話あるじゃないですか。
昔はその共同幻想をつくり出すために権力が担保していて、ソレを王様が貨幣だと認めたから貨幣であるっていうやつ。
そう考えると、これからも十分そんな新たな共同幻想が生まれる可能性はあると思うんですよね。
で、今このタイミングでそんな共同幻想を生み出したかったら「熱狂」と「仕組み」を作り出すこと。
熱狂という言葉が苦手であれば、このブログでもよく使っている「楽しさ」とか「ワクワク感」という言葉でもいいです。
貨幣は共同幻想で、その共同幻想は「みんなの信用」が担保になっているならば、みんなが信用している状態をつくりだすための「熱狂」を生み出せばいいんです。
それとゲームの相性は、ポケモンGOが一昨年の夏に証明済みですよね。(もう一昨年か。)
「あのときに多くの人が、あの場所にポケモンがいる」って信じていたのは紛れもない事実ですから。
熱狂はいつか必ず冷める。
でも、多くの人があの熱狂から冷めてしまったように、熱狂はいつか必ず冷めるんです。
だから、バブルも弾けるんです、当然です。そのスパンがそれぞれで異なるだけ。
でも間違いないことは、これからも至るところで似たような熱狂が同時多発的に生まれてくるということ。
それはもう止めることができない。
なぜなら、インターネットバブルがそうであったように、ブロックチェーン技術のような汎用性のある「仕組み」が出来上がってしまい、人々が一連の可能性に気づいてしまった以上、本質的な価値(進んでいくベクトル)は変わらないから。
「熱狂」によるバブルとトラブルを幾度となく繰り返しながらも、これからも成長発展し続けていくんだろうなあっていうのが、僕のいまの仮説です。
参照:【仮想通貨ナイト】事前に準備しておいた質問の答えを公開します。 | 隠居系男子
最後に
津波や地震が怖かったら、日本には住まないほうがいい。
でも豊かな自然や美味しい食材、多様な文化を楽しみたいと思ったら住み続ける。自然とどう付き合うのかは、各人の自由です。
いまの仮想通貨を取り巻く環境も、そんな感覚に近いんじゃないのかなあと思っています。
いつもこのブログを読んでくださっている方々の参考になれば幸いです。