人がドキッとすることって、結構簡単に言えてしまいます。
その結果として、人の言動を変えてしまうのも意外とカンタンです。
もちろん、そうやって他者の言動を変えてしまうことに良し悪しはあるとは思います。
僕も、どちらかと言えば他者を脅かしてまで何かを主張したいとは思わない。
ただし、そうやってドキッとさせた結果、受け手にとって本当に良い方向に進んでいれば、それはそれで良いのかもしれません。
行動を変えたあとの「継続」がむずかしい。
じゃあ、一体何がむずかしいのか?
行動を変えたあとの「継続」がむずかしいんだと思います。
北風と太陽の話で言えば、コートを脱がせることではなく、コートを脱がせ“続ける”こと。
たぶん北風も本気を出せば、突風でコートを脱がすことぐらいはできると思うんですよね。
ただし、脱がせ続けることは、やっぱり太陽にしかできない。
それと同じ話で、一度行動が変わったとしても、どうしようもない「不安」や「怖れ」がやってきて、また元に戻ろうとしてしまうんですよね。
「どうせ」「やっぱり」を枕詞に、自分で自分に絶望してしまうと言いますか。
自分で自分に絶望してしまわないためにはどうすればいいのか?
そこでやっと気がついたんです。
自分は、そんな絶望を前にしてもちゃんと踏みとどまれるように、励まし続けたいのだなと。
なぜなら、それが他者に与えられる最大限の「価値(勇気づけ)」だと思っているからです。
最近、自分の口癖が「どうか」や「それでも」になりつつあるのは、そのためなのだろうなあと。
先日の「働く」のイベントでも、この「自分が自分に絶望する」という話を少しだけさせていただきました。
そうしたら、懇親会時に「具体的にどうすれば、自分で自分に絶望してしまいそうになったときに踏みとどまれるんですか?」と質問されたんです。
これは、とっても悩みました。
少し考えてみて自然と浮かんできた答えは、「仲間を見つけること」。
同じ志を持った仲間がいれば、絶望しそうになっても踏みとどまれると思うんですよね。
語学やダイエット、受験勉強などもそうじゃないですか。
ひとりでやっていたら挫折する可能性が高いですが、みんなでやれば意外と楽しみながら進めてしまう、アレと似ている。
最後に
だからこそ僕は、そんなふうにお互いを応援し合える関係性を構築していきたいのだなと思います。
そして、それが結果的に「小さな経済圏」へと成長していったら嬉しい。
また少し自分がやりたいことが理解できた瞬間だったので、今日のブログにも書き残しておきました。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、なにかしらの気付きや発見に繋がっていれば嬉しいです。