高城剛氏のメルマガから考える情報過多社会におけるデータの扱い方とは。

セブに来て6週間経ちました。どうも鳥井です。
全部で12週間の予定なので、今日で丁度半分が経過したことになります。

今回は、「フィリピン英語留学体験記〜健康編〜セブは生活習慣改善ダイエット道場!?」と題してブログを書こうと思っていました…が!

高城剛さんの今週のメルマガ(高城剛未来研究所)で「データの取扱い方」について書かれており、最近自分が考えていたことと丁度重なったので、急遽内容を変更してこちらを取り上げたいと思います。

以前、断捨離に関連して実生活空間のモノの所有についてこのブログで取り上げたことがありました。

断捨離とかさ、別に難しく捉えるな!男子はとにかく身辺単純明快であれ! | 隠居系男子

今回はその仮想空間版、情報過多社会におけるデータの所有の仕方についてです。

まずは以下の引用部分を読んでみてください。

個人ブログであれば出典元を明記するという条件で引用OKらしいので、少し長いですが引用させて頂きます。

HDDの整理が思いのほか時間がかかるもので、あまり場所を取らないからいいや、とほっておくと、急遽、必要な時に必要なデータにアクセスできなくなり、また、所有物と同じように、そろそろ要らない過去データを、どこかで半強制的に削除するような度胸も必要なんだと思います。

情報には、三種類あります。これから入れる「入力」と、いま現在持っている「手持ち」と、自ら情報となる「出力」です。モチロン、「出力」をあげることが、仕事上でも二十一世紀の生き方としても正しいのですが、そのためには、「入力」を適宜制限することも必要で、さらには、「手持ち」情報を明確に取捨選択することが、結果的に良いバランスになり、良い「出力」につながります。

よく、信じられないほどのアプリをiPhoneに入れている人を見かけますが、そのすべてを、本当に日々使いこなしているとは思えません。「とりあえず」ダウンロードし(時には無料や安いと言う理由で)、「とりあえず」保存し「手持ち」している状態は「とりあえず」の日々や生き方しか送れないのではないか、と考えます。

仕事も運動も投資も楽しさの秘訣も、「もっとも小さなサイズでもっとも大きなパフォーマンスを出す事」に意味があるんだと思います。先日、東京の地下鉄に乗ると、僕の前に座っていた8人全員がスマートフォンをさわっていました。このうちの何人かは「とりあえず」スマートフォンをさわり、「とりあえず」のアプリを多く所有してるように僕には見えるのです。

モノを整理し捨てる時代から、情報を整理し、限られた情報(入力やアプリ)で、最高のパフォーマンスを上げる。シンプルに生きるとは、まさにスマートフォンの第一画面に現れる時代なんだと思います。

如何だったでしょうか。

読んでいて、耳が痛いという方も多かったと思います。

今の時代、情報がこれだけ溢れており、その管理の仕方もバリエーション豊富なだけに、自分の情報すら管理しきれていないという人は非常に多いはずです。

今回の高城さんの記事の中ではHDDがメインに語られていますが、これに加えてDropboxやEvernoteなどクラウドも含めると、ストックできる場所はドンドン増えていく一方です。

主な保存先として、ラップトップのローカル・スマホとタブレットのローカル・外付けHDD・クラウドの保存先が2〜3ヶ所あるという人は結構多いのではないでしょうか。

実際に僕もその一人です。そしてやはりソレを完璧に管理しきれているとは言い切れません。

しかし、やはりこのままではいけないと思い、最近色々試行錯誤してたどり着いた結論としては…

「ラップトップの256Gに保存できる容量が、自分に取って一番管理しやすい最適なデータ量だ」ということです。

上の高城さんの言葉で言うと「もっとも小さなサイズでもっとも大きなパフォーマンスを出す。」このために、僕がたどり着いた「最も小さなサイズ」が256Gだったというわけです。

そして僕はクラウド環境は極力使いません。

Dropboxはなるべく空にしておき、今継続中のデータ、もしくは何度も見返したいほど大切なデータしか入れていません。

iPhone・iPadは最小の16Gを使用しており、こちらも今見たいと思うものだけしか入れていないです。

僕がこの環境にたどり着いたのにはいくつか理由があり、主にこの3つです。

  • クラウド環境を思う存分使いこなせるのは、日本やアメリカだけ。
  • 今、目の前のことに集中することができる。
  • 頭の中でその情報を紐付けしておける範囲は、これが限界。

以下で詳しく説明していきます。

・クラウド環境を思う存分使いこなせるのは、日本とかアメリカだけ。

これは昨年中国にいた時に強く実感したことです。

ご存知の方も多いと思いますが、中国はグレートファイアウォールという国家政策がありまして、これにより中国国外のメジャーなサイトは見ることができません。

具体的にはTwitterやFacebookなどがその対象なのですが、本当に厄介なのは具体的に対象と明示されていないけど、明らかに使いづらいサイトです。

限りなく黒に近いグレーな扱いを受けているサイト、これが実は非常に多いんです。

具体的にはGmailやEvernote、Dropboxなどがその一例なのですが、繋がるときもあれば繋がらない時もある…。

こうなるとクラウドからは自然と距離をおくようになります。

また、クラウド環境はネット回線のスピードの影響をモロに受けます。なので、ネット回線の遅い国でも、使い物になりません。

特に上りの遅さが異常に遅い…。

先ほどもフィリピンのセブ島からDropboxにファイルをアップロードしていたのですが、300MBのファイルを上げるのに5時間かかりました。笑

このように、クラウドは各国の環境によって思いっきり左右されてしまうので、あまり頼りにならず、未だにメインで使うのには躊躇してしまいます。

・今目の前のことに集中することができる。

僕にとって、沢山のファイルやアプリが存在するということは、例えるなら、机の上が乱雑な状態で色々な物が置かれているのと同じ状態と言えます。

今集中したい作業に必要な物だけを机の上に置きたいというのは、昔からの癖で、テスト勉強時なども科目ごとに一回ずつ本棚に戻していかないと集中できないタイプでした。笑

他のモノが目に入る場所にあると、自然とそちらに意識が向いてしまい、なかなか目の前のことに集中することができません。

なので、データに関しても、今見なければいけないモノだけをiPhoneやiPadのビューアーに送り、その他は本棚の役割を果たす母艦のラップトップにおいて置きます。

「なんていちいちそんなメンドクサイことを…」と思うかもしれませんが、人間とは本当に意志の弱い生き物です。このような「制限」がなければ目標を達成することはなかなか難しいと思います。

このような一手間を加える事で、本当にやるべきことに向き合えるのであれば手間や時間的ロスも安いもんです。

僕の場合、実際にこうすることにより、自然と読むべき資料や、電子書籍、オーディオブックなどを消化していくことができるようになりました。

・頭の中でその情報の場所が紐付けしておける範囲はこれが限界。

これはもう完全に、個人的な能力の問題だと思いますが、僕の場合その情報に到達するまでに2段階あると、その情報を自分の中で使いこなせているという感覚がなくなってしまいます。

ラップトップ→クラウドサービス内のフォルダ、もしくはラップトップ→外付けHDD内のフォルダと経由しなければ到達できない情報は、自分とその情報を繋ぐ線が点線で表されているような感覚になってしまうのです。

なのでできれば1段階で、そして実線の繋がりがあるといえる状態に置いてきたい。

これを考慮するとラップトップの容量までが実線でつながっている状態、そしてその情報を使いこなせている状態ということになり、自然とこの範囲で収めるようになりました。

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さて、このように、身の回りのものがドンドン進化していっても自分の処理能力が追いつかなければ、いくら機能面が発達していっても何の意味もありません。

僕は今の情報過多の時代を見ていると、一昔前のデカい家を持つのが良しとされた時代とついつい重ねてしまいます。

家も、本当に自分が管理できている空間と言えるのは、僕にとって10畳が限界です。

なのできっと、物理的空間の10畳にあたる容量が、仮想空間では256GBということなんだと思います。

もちろん、職種によってはもっと大きな容量を扱わないと仕事にならないという方もいると思います。

僕はテキスト中心なのでこの容量で満足出来ますが、写真や動画を扱う職業の方はもっと必要になるでしょう。

しかし、大容量のデータを扱わなければいけない職種の方であっても、自分の中で「あ、今この量、この瞬間、自分の中で何かが完全にカチっとはまった!」っていう瞬間があると思います。

それは生活空間や、持ち物の量と同じように…。

年度末が近づいてきて新たな生活を送る前のこの時期に、皆さんも一度自分の所有しているデータを見直し、自分にとっての最適解を探ってみるはいかがでしょうか?

それでは今日はこのへんで!

ではではー。

鳥井弘文 
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