歴史は往々にして韻を踏む。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

僕がずっと大切にしてきている言葉があります。

それが「歴史は往々にして韻を踏む。」という言葉。

もともとは、『トムソーヤの冒険』の著者マーク・トウェインが言った「歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む。(The past does not repeat itself, but it rhymes.)」だそうですが、誰かがこう言っているのを耳にして以来、こっちのほうが個人的に気に入っています。

今回は、この言葉の意味するところを明確にしつつ、なぜ僕がこの言葉を大切にするのかについて書いてみようと思います。

「螺旋的発展の法則」

このブログで以前紹介した田坂広志著『知性を磨く』に、同様の趣旨のことがわかりやすく書かれていました。

参照:平成生まれの高学歴に読んで欲しい。田坂広志著『知性を磨く~「スーパージェネラリスト」の時代』 | 隠居系男子

それが「螺旋的発展の法則」です。少し引用してみましょう。

物事の変化・発展、進歩・進化は、あたかも「螺旋階段」を登るようにして起こる。螺旋階段を登る人を横から見ていると、上に登っていくが(進歩・発展)、この人を上から見ていると、階段を一周回って、元の位置に戻ってくる(復古・復活)。

ただし、これは螺旋階段。必ず、一段高い位置に登っている。 すなわち、物事の変化・発展、進歩・進化においては、古く懐かしいものが、新たな価値を伴って復活してくる。 それが、弁証法の「螺旋的発展の法則」である。

ファッション分野における歴史が繰り返されるスピード。

では、なぜ僕がこの考え方を重視するのか。それはきっと、ファッションが好きだからだと思います。ファッションの分野においては、この螺旋階段のまわるスピードがもの凄くはやい。

普通の人生を送っていれば、大抵12年ぐらいで1周して歴史が繰り返しているという感覚が得られるのでしょう。60歳を迎える頃ぐらいに5回ぐらい繰り返されていて実体験として気がつく。「あぁ、歴史は繰り返されるんだ」と。

でもファッションだと、その自らで体験できるスピードがもっとはやい。この12年の間でもう既に5回ぐらい同じ所に来ました。そして、そのどれもが非常に似通っていますが決して同じじゃありません。まさに“螺旋階段”や“韻を踏む”という表現がしっくりくるんです。

僕はこの感覚をファッションを通じて早々に学ぶことが出来たので、この意識が他の人よりも強くなっていったのだと思います。

最後に

「歴史を眺めてみる。」
「他人の人生を淡々と眺めてみる。」

そこに、今を生きる自分の勘とこれまでの自分の実体験を織り交ぜて考えていくことで、次に通るであろう道を想像できるのだと思います。

参照:ビジネス本を読み漁っておくことのメリット | 隠居系男子

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」と言いますが、きっと実体験と歴史から学ぶバランスというのはこれぐらいが丁度良いのではないかと。

これを読んでくださった皆さんの何かしらの参考になれば幸いです。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

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