悩みをみせることの重要性。

「悩みをみせる」という言葉を初めて知ったのは、たぶん学生時代に法律の勉強をしていたころ。

論文を書くときに、結論だけではなく、その結論に辿り着くまでの悩みを見せることも、時には必要だと教わりました。

何のためかと言えば、採点者に対してアピールするため、です。

何をアピールするのかと言えば、自分が導き出した結論は、この人の権利や利益と対立することもちゃんと理解してますよ、と伝えるためです。

だからこそ、結論だけではなく、悩みもみせなさい。そんな話だったかと思います。

「葛藤」と「悩み」。

なぜ突然こんな話をはじめたかと言えば、昨日ヨウさんが書いてくれたブログの中に、葛藤の話があったからです。

参照:鳥井弘文さん、くいしんさんのこと。ー『隠居系男子的』に寄せてー – 桐谷ヨウ blog

たぶん、ヨウさんが書いてくれている「葛藤」とはまた若干意味合いが異なるとは思うのですが、最近「悩み」についていろいろと考えていたことがありました。

この機会に悩みをみせる重要性について、少しだけ書いてみようかなと。

何の葛藤もなく自信満々に語れてしまう人のことを信用できない。

一般的には、悩みや葛藤はみせないほうが良いと言われます。

自信満々に語る姿に、人は魅了されてついてくる。

でも、それってちょっと前時代的な気がします。

SNSが一般化して、著名人や芸能人であっても普通の人だということがバレてしまった現代において、何の葛藤もなく自信満々に語れてしまう人のことを、僕は逆に信じることができません。

もちろん、上述した論文答案のように、あざといものじゃないほうがいいとは思いますが、本当にいま自分が悩んでいることがあれば、それはちゃんと伝えてみても良いのではないでしょうか。

その葛藤に共感してしまうから、ファンであり続けられる。

僕が尊敬している諸先輩方も、皆さん何かしらの葛藤を抱えていて、それがとても魅力的に映ります。

名前を挙げると失礼に当たるかもしれないので、ここでは具体的な人物名は書きませんが、例えば『バガボンド』の宮本武蔵なんかもそう。

彼もまた、葛藤を抱えたキャラクターだと思います。

井上雄彦さんが描くあの武蔵の葛藤に共感を寄せてしまうからこそ、僕はこの漫画が大好きで、ずっとファンであり続けているのだと思います。

最後に

楽しそうで順風満帆に見える人でも、必ず何かしら葛藤を抱えていて、それが見えた瞬間に人間らしくて、ついつい共感してしまう。

そしてその葛藤が自分と似ているなあと感じたとき、人はその人のことを応援したくなるんだと思います。

悩みや葛藤は決してネガティブなものではなく、夢や理想、辿り着きたい自分(たち)の姿と表裏一体の関係にあるもの。

だったらそれも包み隠さずに、正直に明かしていったほうが、今の世の中においては賛同者が集まりやすいのではないでしょうか。

それこそ自然体な姿だと思います。

もちろん限度は必要なので、日頃はグッと我慢しつつ、ポロっとこぼれ落ちてしまうぐらいが、ちょうど良いとは思いますけどね。

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