「信頼」はするけれど、「期待」はしない。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

突然ですが皆さんにとって「信頼」と「期待」、この2つの言葉の違いってなんでしょう?あまり気にせずに使っている方も多いかもしれません。

辞書で調べてみると、以下のように書いてあります。

しん‐らい 【信頼】

[名](スル)信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。

引用元:信頼とは – コトバンク

き‐たい 【期待】

[名](スル)あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。

引用元:期待とは – コトバンク

いまいち、違いがわかりづらいですよね……。

この点、僕にとっての「信頼」とは、相手との間で交わされた約束事が履行されると予想すること、それが信頼だと思っています。

そして「期待」とは、約束事の履行に留まらず、プラスアルファの要素が含まれているはずだと予期すること、それをを期待だと思っています。(自分の想像を上回ることが含まれていれば、尚良し。)

だから例えば、コンビニの店員さんやマックの店員さんに対して「信頼」はするけれど、「期待」はしません。

具体的に言えば、僕がレジへ向かう時、売買契約は成立するはずだと「信頼」して向かうわけですが、ホスピタリティあふれるサービスまで「期待」しているわけじゃないということです。

よくコンビニなどで店員さんに対してキレている人がいますが、あれは「期待」してレジに向かった結果そうなってしまったのでしょう。

期待してしまうと、それが実際に起きなかったときに「裏切られた」と感じてしまい、負の感情に陥りやすいですからね。振り子の原理と一緒です。

また、以前こんな記事を書いたことがあります。

読者のリテラシーを信頼するということ。 | 隠居系男子

この記事の趣旨も、「読者のリテラシーは最大限信頼してもいいが、期待してはいけない」という意味を込めて書いたつもりです。

なかなかこの線引は難しいですが、こうやって意識しながら書き続けていくと、ある程度数をこなしてきた段階で「これは信頼だ。これは期待に含まれる。」っていうのがなんとなく感覚としてわかってきます。

最後に

僕は初めて会った人でも、この人は信頼できると思ったらすぐに信頼してしまいます。

参照:それでも、正直者が得をする社会へ。 | 隠居系男子

しかし、「期待」している人というのは、この世の中に片手で数えられるほどしか存在しません。

だからすぐに信頼はするけど、絶対に期待はしない。最高の性善説であり、最低の性悪説とも言えるのかもしれません。

あなたは誰にでもすぐ「期待」してしまいますか。それとも「信頼」さえしませんか。

今日の記事が、皆さんの何かしらの考えるきっかけになったら幸いです。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

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