どうも鳥井(@hirofumi21)です。
先日した以下のツイート。
この前飲みの席で「次の時代、雑誌的なポジションを担うウェブメディアは、誰がつくると思いますか?」っていう質問を箱庭編集長の東出さんにした時に「雑誌を作ってきた人たちじゃなくて、雑誌を読んできた人たちじゃないかなぁ。」っていう答えが、今もずっと頭を離れない。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016, 1月 16
みんなSONYがiPodのようなものを作ってくれると信じていたけど、実際にiPodを作ったのは、ウォークマンに魅了されて、SONYが大好きだったスティーブ・ジョブズなんだよね。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016, 1月 16
本当にそう思います。今日はもう少しこの話を掘り下げてみようかなと。
過去の“ソレ”が大好きだった人たちが、新しい時代の“ソレ”をつくる。
ハードウェアの進化や通信手段の進化によって、世の中の情勢が大きく変わる時、前の世代の“ソレ”に魅了されていた人々によって、新しい時代の“ソレ”が作られていくのではないでしょうか。
きっと旧来の企業は、それまで蓄積してきた知識や技術と同じぐらい「イノベーションのジレンマ」も同時に持ちあわせているはずで…。
良い部分だけを残して、後は全部捨て去るなんていうことは到底できないわけです。
だからこそ、過去の時代の“ソレ”を作ってきた人たちではなく、そのアイテムやコンテンツに夢や希望を与えてもらった人たちが、次の時代のアイテムやコンテンツをつくっていくのだと思います。
昔の、映画とテレビの関係性。
この辺りはまだまだ勉強途中なので、むしろ詳しい人に教えてもらいたいぐらいなのですが、最近読んだ本の中に書いてあったのは、どうやら映画とテレビの関係性も、今の「テレビ・紙 VS スマホ」の関係性に近かったようです。
言ってしまえば、当初のテレビは全然カッコよくなかった。皆が映画に魅了され、銀幕のスターに憧れていた時代。
でも一般家庭にテレビが普及していくのは間違いないと考えた人たちは、そのテレビの可能性を信じて、テレビに全力を注いで、テレビの時代を築いてきたようです。
いま僕たちがこの時代から振り返れば「そりゃそうなるに決まってんだろ!」と半分呆れモードで聞いてしまうような話ですが、当時テレビに全力を注ごうとしていた人たちは、今ネットでコンテンツを作っている人たちと、同じような状況に立たされていたのではないでしょうか。
それでもテレビの可能性を信じて、自分たちが憧れて魅了されてきた映画の世界をテレビの中でも作りたいと強く願ったから、実際につくり上げることができたわけです。
だからこそ、ネットの動画コンテンツもきっと同じような道を辿るはずで、テレビ業界の人たちがそのまま横にスライドするなんてことは、まずあり得ない。
動画コンテンツの新しい時代をつくる人たちは、テレビの黄金時代にテレビを見まくっていた人たちであり、テレビにかじりついていた人たちなのでしょう。
最後に
ここで合わせて特筆しておきたいことは、過去の遺産に楽しませてもらった人たちが新しい時代の何かをつくる時に一番大切なこと、それは「縦の系譜」を無視しないことだと思います。
過去の遺産に最大限の敬意を払って、さらに今の自分たちのワクワクを上乗せして体現できる、きっとそんな人たちが成功していくのだと思います。
もちろんダメなところはダメだとしっかりと否定する。時には、中指を立ててもいいのかもしれません。しかし「縦の系譜」それ自体はちゃんと意識する。自分のルーツは絶対に忘れないこと。
過去の人々の積み上げたものを絶対に無碍にしてはいけません。そうすることで「初心忘れるべからず」に近い形で、最終的には巡り巡って自分たちに返ってくると思うのです。
つまり、人類の叡智を最大限尊重した上で、うまく自分たちらしい一枚を重ねていける人々。そんな人々が次の時代の新しい何かをつくることができる人たちなのだと思います。
そんなことを考える今日このごろ。
それでは今日はこの辺で。
ではではー!