昨日こんなツイートをしてみました。
人が怒りを持ち出すときには必ず何かしらの目的がある。でも、その目的達成から一番遠ざけてしまうのが怒り。怒りを発露すること自体が目的であればいいんだけど、そもそも発露したいだけの怒りなんてこの世には存在しない。冷静に、本来の目的を達成するための方法を探っていけば怒りなんて必要ない。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月18日
「なぜ鳥井は何度も何度も繰り返し怒りについて書くのか?」そう不思議に思うひともいるかもしれませんが、それはひとえに「怒りで物事を解決しようとするひとたちを遠ざけるため」です。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月18日
これは確信を持って言えることなのですが「怒り、ダメ絶対。」って繰り返し主張していると、不思議なほど自分のまわりから怒りで物事を解決しようとするひとたちがいなくなる。もし今、自分のまわりに怒りで物事を解決しようとするひとが多く、悩んでいる方がいれば、ぜひ実践してみて欲しいことです。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月18日
ここ最近ずっと思っていることは、「広く・大きく届けたい」ということよりも、届いたときの「不一致をなくしたい」ということなんです。
なぜそう思うのか?
近年の問題の多くは、とにかく広く・大きく届けようとした弊害だと思っていて。
発信者と受診者の間に生まれる“不一致”が原因だと思うんです。
それを事後的に解消するために、余計なカロリーも使ってしまっている…。
だったら最初から、その不一致をなくしたほうがいいなあと思っていて。
もし、ちゃんと互いに棲み分けて、互いの立場もしっかりと尊重していれば、ほとんどの問題は生じていないはずだから。
何度も何度も繰り返し伝えていくことが重要。
だからこそ、そんな不一致をなくすためにも、手を変え品を変えながら、何度も何度も繰り返し伝えていくことが重要なんだろうなあと。
自分が大切にしていることを丁寧に伝え続けることによって、自分にとって理想の環境やコミュニティをつくりあげていくことができるはずなんです。
もちろん、そこで生まれた環境やコミュニティを維持・継続しながら、それぞれの「居場所」を守っていくことにもつながっていく。
このときに大切なことは、誰が読んでもなるべく不快な気持ちにならないように、ちゃんと読み手に対しての敬意を持って伝えること。
その努力を怠って、ひとりよがりになってしまってはいけない。
以前書いたこの記事の話にも近いのかもしれません。
参照:人を集めるだけが編集じゃなくて、人を遠ざけることも編集。 | 隠居系男子
最後に
自分の身のまわりの環境は、自分の手で整えていくしかない。
一周まわって、本当に強くそう思います。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても何かしらの参考になれば嬉しいです。