どうも鳥井です。
先日以下の記事を読みまして。
男性社会の腕時計需要って、本当にこの「なめられたくない」の一点だよなあ。調べていくうちに沼にハマっていく人も多いけれど、最初の入口は皆ここな気がする。:なめられたくない、という動機。 | 古賀史健 | note https://t.co/iWKhvgHFcO
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年10月21日
男性社会における高級腕時計は、それを身に着けた人をほぼ例外なく、みんな同じステージにひき上げてくれるものでした。
一方で、最近よく思うのですが、スマートウォッチとりわけApple Watchは、それを身につける人によってその意味合いが全く異なってくるなと。
今日はそんなお話です。
Apple Watchは、誰でもカンタンに手に入れる事ができる。
Apple Watchは比較的値段がやすいので、誰でも容易に購入することができます。
欲しいと思いお金をちゃんと貯めれば、アルバイトをしている高校生でも購入することができる腕時計だと言えると思います。
だからこそ、身に着けている人によってその意味合いが大きく変わってくる。
具体的にどういうこと?
具体的にどういうことかといえば…
ガジェットオタクそうな人がApple Watchを腕につけていると、尚更ガジェットオタクそうに見えてくる。
流行が好きそうな人がつけていれば、尚更流行が好きそうな人に見えるし、一方で、スポーツが好きそうな人がつけていると、尚更スポーツが好きそうな人に見えてきます。
日々の体調管理に気をつけている人がしていると、尚更健康そうに見えてくる不思議…。
Apple Watchをつけている腕から垣間見える、その人のライフスタイルがカッコいいかどうか。
だからこそ、つけている人によって「Apple Watchダサいな…」と思うこともあれば、「Apple Watchカッコいいじゃん!」と思うこともある。
その中でも、最近お会いした某オーガニック系企業の代表の方がApple Watchをしているときは、とてもかっこよく思えました。
そしてその時、ハッとしたのです。
つまり、Apple Watchそれ自体がカッコいいのではなく、そこから垣間見えてくる、その人の生き様(ライフスタイル)それ自体がかっこいいと、自分は感じたのだなと。
「着る人自身に個性があれば、服に個性はいらない。」
ここまで考えてきた時に思い出したのが、以下の記事。
孫引きみたいな形になってしまいますが、この記事の中で引用されていたUNIQLOの柳井さんの発言、を少し引用してみましょう。
もう10年以上前のこと(!)になるのだが、大学でファーストリテイリング・柳井正会長(当時は社長だったと思う)の講義を聞く機会があった。その時、柳井さんがおっしゃっていた言葉が忘れられずにいる。
「ユニクロはベーシックな服しか作りません。ユニクロの服自体に個性はない。着る人自身に個性があれば、服に個性はいらない。それがユニクロの考え方です。」
まさにこの柳井さんの言葉が、いま自分がApple Watchというウェアラブルデバイスに抱いている印象そのものだなと。
最後に
職業柄、一般の方よりもスマートウォッチをつけている人がまわりに多いのですが、今日のブログで書いたように、身につけている人によって良くも悪くも、相手に抱く印象が全く異なってくる。
今後、Apple Watchに限らず、その人の内面や暮らしぶりが浮き彫りになるプロダクトがドンドン増えてくるはずです。
お金さえあれば、なんでも手に入ってしまう時代は本当にもう終わってしまったのでしょう。
これからは、否応なしに自分のライフスタイルが浮き彫りになってしまうからこそ、日々の暮らしをしっかりと大切にできる人間でありたいなと、自戒を込めて思います。
以前書いた「何をもって覚えられたいのか」が、より一層重要になってくる時代だということなのでしょうね。
参照:ブログやSNSでネガティブなことも書いたっていい。大切なのは「自分は何をもって覚えられたいのか」ということ。 | 隠居系男子
それでは今日はこのへんで。
ではではー!