生き方それ自体が、盛大な問いになっているひと。

今この時代に大切なのは「結論」ではなく「問いの立て方」のほう。

参照:大切なのは、問いの立て方。 | 隠居系男子

そのうえで最近よく思うのですが、生き方それ自体が盛大な問いになっているひとは強いなあと。

だとすると、「どんな問いを発することができるのか?」ということがキモになってきますが、生き方そのものが問いになっているひとはやっぱり強い。

良くも悪くも、それだけでアテンションを集める理由になりますからね。

その一挙手一投足が、注目の的です。

自己矛盾をはらんでいるひと。

なぜ突然こんなことを書き始めたかって、どうしても僕たちは、自分の中に矛盾をみつけるとすぐに解消してしまいたくなりがちです…。

でも、冷静に考えてみると、ついつい目で追ってしまうひと、気になってしまう“あのひと”って、自己矛盾をはらんでいるひとじゃありませんか。

本当に全力でどっちも大切だと信じて疑わないひとほど、なぜか気になってしまう存在だったりするはずです。

どうして自己矛盾をはらんでいるひとが気になってしまうのか?

きっと無意識のうちに、その人の中にある矛盾を解消しようと、勝手に推測してしまうからなのでしょう。

点と点をつなぎたくなってしまう感じと言えば、わかりやすいでしょうか。

そのモヤモヤしている状態が気持ち悪いから、勝手に論理を組み立ててしまう。

そうすると、いろいろなひとがいろいろな自己の解釈を主張し始めるんです。

宮崎駿さんは、生き方それ自体が盛大な問いになっている好例。

ここまで書いてくると、「じゃあ、具体的には誰のことなんだ…?」って思う方もいるかも知れません。

誰もが知る一番わかりやすい例で言えば、やっぱり宮崎駿さんなのかなと。

プロデューサーの鈴木敏夫さんは、宮崎駿さんの話をするときに、その自己矛盾をいつも指摘します。

「戦争は反対なのに、彼自身は生粋の戦闘機オタク。その自己矛盾に立ち向かって、つくった作品が『風立ちぬ』である。」や、

「根っからのペシミストなのに、『それでも、この世は生きるに値する』と子どもたちに希望を与えたいから、アニメ作品をつくっている。」などなど。

これも、大いなる自己矛盾です。生き方それ自体が問いになっている好例です。

自己矛盾こそが人生最大の問いであり、唯一無二の“あなたらしさ”。

繰り返しますが、どうしても僕らは自分の中に整合性が取れない部分を発見してしまうと、すぐにそれを解消しようとしてしまいがち…。

でも本当は、それこそが唯一無二の“あなたらしさ”なのかもしれません。

だからこそ、自分の中にそんな矛盾を見つけたときは、「しまった…」ではなく「しめた…!」と思わないといけないのかもしれません。

「矛盾はするけれど、どっちもいい!」と心の底から本気で思っていることがあるのであれば、それはあなたが社会に提案できる人生最大の問いですからね。

最後に

唯一気をつけなければいけないことがあるとすれば、その自己矛盾に自分自身が耐えきれなくなって破滅してしまわないこと。

そんな予兆を感じたら、すぐに他者支援に回りましょう。

参照:自分がうまくいかない時ほど、他者を支援する。 | 隠居系男子

ものすごく抽象的な話ではありますが、そんなことを考える今日このごろです。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、何かしらの参考になれば幸いです。

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