ファッションの変遷と、「服屋三浦」が提供している価値について。

昨夜も、「#もとくらの深夜枠」を配信しました。

今回のゲストは、「#服屋三浦」の仕掛け人である三浦希さんと、その三浦さんの親友でもありWasei Salonメンバーでもある早川大輝さん。

テーマは「服屋三浦の作戦会議 ~本当の “似合う” とは何か~」でお送りしました。

今日は、そのお話の中で得られた気付きを少しだけ自分の備忘録的に書き残して起おきたいと思います。

これまでのファッションの変遷。

話題は、これまではファッションの変遷について。

バブル期までは、わかりやすいブランド品を身に纏い、自己顕示欲を満たすため、自身のアイデンティティを表現するためにファッションが使われてきました。

でもバブルが弾けると、打って変わって自分のためではなく「相手のために着る」という感覚が一般的になってきたように思います。

相手とのコミュニケーションを円滑にするために、小奇麗でいようとする人が一気に増えました。

きっとこのブログを読んでいる方々の中にも、流行りのビジネス本などで「装いは相手のために」というフレーズを見たことがある方は多いのではないでしょうか。

「装いは相手のために」と行き過ぎた結果。

与えられた役割を演じること、日本人はそれに長けています。

ユニクロや無印良品のようなベーシックで質の良い安価な商品がそこにうまくハマって、瞬く間にその価値観が広がっていったのだと思います。

でも一方で、今はその弊害も出てきているのかもしれません。

具体的には、他者から求められる役割を演じすぎて、自分自身がわからなくなってきてしまった。

他者目線に立ちすぎてしまったんですよね、きっと。

これは今の働き方の議論にも非常に似ているなあと思いました。

過ぎたるは及ばざるが如し。いつだって真ん中がいい。

「#服屋三浦」は他者を勇気づける行為。

その行き過ぎた感覚を、半ば強引に引き戻してくれるのが「#服屋三浦」であり、三浦希さんが日々行っていることなんだなあと思いました。

「あなたはこういう人なんだから、これを着たほうがいい。絶対に似合うから、間違いない」と。

彼の性格も相まって、その提案が相手に対してものすごく勇気を与えるんですよね。

つまりめちゃくちゃ“価値”がある行為なんだなって気が付きました。

なぜなら、以前も書いたように「他者を勇気づけることが価値のある行為」だと僕は思っているからです。

参照:価値について考える。 | 隠居系男子

最後に

昨日のライブ配信を終えて、改めてこれからも全力で「#服屋三浦」の活動を応援して行こうと決意しました。

ライブ配信を見逃した方は、ぜひ下記のアーカイブを観てみてもらえると嬉しいです。

たとえファッションに興味がなくても、きっといつもこのブログを読んでくださっている方々であれば、何かしらの発見に繋がるかなと思います。

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