最近、Netflixのオリジナル番組『クィア・アイ』を毎日1話ずつぐらい観ています。
きっかけは、このラジオを聴いたこと。
参照:【音声配信】荻上チキ「観ると元気になれる番組!『クィア・アイ』の魅力を語る!」▼2018年11月23日(金)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」)
そんな『クィア・アイ』を観ながら、ふと思ったことをツイートしてみました。
『クィア・アイ』観てて思うのは、新しい服を着てもらうためには、新しい服を手に入れてもらうだけでなく、着慣れた服を手放してもらうのも同じぐらい重要だってこと。どうしても人間は現状維持してしまう生き物だから。新しいものを用意するだけじゃダメで、古いものも手放してもらわないといけない。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年4月11日
そしてこれって、相手の外見を変えてもらいたいときに限らず、全てにおいて言えることだよなと。新しいモノや手段、出会いを提供するだけで満足するのではなく、ちゃんと古いものを手放してもらうところまで付き合う必要がある。そこで初めて、新しい環境に踏み出す一歩をお手伝いしたって言えそう。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年4月11日
心から相手の幸せを願い、表面的な豊かさを提供するのではなく、その根本思想を読み解こうとしたら、圧倒的に「増やす」よりも「減らす」や「手放す」を促したほうが相手にとって本当の幸せにつながることが多い。にもかかわらず、両者生き残るために「増やす」を提案しないといけないのが今の世の中。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年4月11日
なぜ、「増やす」を提案しなければいけないのか?
だいぶ内容とは異なる方向に着地してしまいましたが、本当にそう思います。
相手が求めている変化、本当になりたい自分になってもらうためには、今は減らしたり、手放してもらったりすることのほうが圧倒的に多いはずで。
でも、自分の利益だったり、両者とも生き残るために「増やす」提案をしなければならない現状が今なんだと思います。
自分に跳ね返ってくるメリットが間接的でも構わない。
思うにこれは、自分に跳ね返ってくるまでの距離をどれぐらいに設定するか、という話でもあると思うんですよね。
もちろん、三方良し、であることは大前提。そうじゃないと自分の身が先に滅びてしまう。
ただ、その跳ね返ってくるメリットが直接的である必要はないはずで。
これだけ「口コミ」や「SNS」文化になると間接的でも構わない。
もっと時間軸の長さ、視座の高さを持たせつつ、目の前にいるひとから与えてもらわなくたっていい。
参照:「視座を共有できるひと」に出会うために、自分に嘘のない表現をし続ける。 | 隠居系男子
観光地と観光客の関係性にも似ている。
例えば、観光地と観光客の関係性を考えてみてもらえるとわかりやすいのかなと。
観光客にありとあらゆる地元のものを買って帰ってもらうよりも、本当に心から満足して帰ってもらったほうが、その土地に対しての将来的な見返りは大きくなるはずで。
そうやって間接的にメリットを得られる環境を作り出し、上手に循環させている人ほど、今の時代にはうまく経済を回している印象があります。
最後に
そう考えると、Netflixのような映像コンテンツは素晴らしいなあと。
今の時代に求められる「減らす」や「手放す」という価値観を提案していても、コンテンツそれ自体が価値を生みだし、経済が回っていくわけだから。
僕らもメディア業を営んでいる身として、そんなコンテンツを提供していきたい。
そして、表面的な豊かさを与えるのではなく、いま目の前にいるひとにとって本当の幸せを心から願えるような経済の形を、自分たちの手でちゃんと作り出していきたい。
いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても、今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。