役割の自分、名前の自分、それを俯瞰して見ているもうひとりの自分。

最近、「自分」の置き方に興味があります。

最初のきっかけは、たぶん世阿弥に関連する書籍をいくつか読んだこと。

今の僕の仮説は、3つの視点を置くことが大切なのかもしれないなあと。

それが、タイトルにもあるように、役割の自分、名前の自分、それを俯瞰して見ているもうひとりの自分です。

今日はそんなお話を少しだけ。

ワクワクさんでお馴染み久保田雅人さんのお話。

なぜ、そう思うようになったのか?

先日、オンラインコミュニティ「SUSONO」のトークイベントのゲストで、「つくってあそぼ」のワクワクさんでお馴染み、久保田雅人さんが来てくださったんですよね。

そこで、以下のような興味深いお話をしてくれたんです。

まずは、役割の自分が全力で心から楽しんでいること。

そして、それを操る本名(名前)の自分がいる。

さらに、もっと高いところから超越した自分を置いておくことが大切であると。

前者の2つの自分だけではダメで、この3つの視点を同時に持つことによって、初めて成立する「何か」があるのだと。

「常に一歩引いている」とは違う。

ここまで読んでくださった方の中には、「あのひとは常に一歩引いてる、みたいな話ってこと…?」と思っている方もいるかもしれません。

それは違います。それはただ、斜に構えているだけ。

そもそも、一番最前線にいる「役割の自分」さえ楽しめていない状態です。

一番良くない状態とも言えるでしょう。

名前の自分と、超越した自分。第3の視点の必要性。

また、「役割の自分」だけが全力で楽しんでいる状態だと、「サービス精神」の塊みたいになる。

わかりやすい例だと、ディズニーランドでキャストのアルバイトをしている子たちみたいな印象です。

確かに、提供してくれるサービスはとっても気持ち良いけれど、代替可能だし、のっぺらぼうみたいな印象を受けてしまうときがある、というような。

だから、「名前の自分」が必要になる。そこに「個性」を与えるために。

でも、その「名前の自分」だけだと今度は、いわゆる「内輪ノリ」になってしまう。「わかるやつだけにわかればいい」というような。

どこか、独りよがりになってしまうんですよね。

だからこそ、それらを超越した第3の視点が必要になるんだと思います。

この3つの視点が揃って初めて、本当のプロの仕事になる。

最後に

僕の身近なところだと、平山さんもこの3つの視点を持ち合わせているひとだと思います。

まずは、キリンの平山さん。(以前は「ことりっぷ」でした)

次に、平山高敏という平山さん。(青春時代に頻繁に聴いていたであろう「ミスチル」を引用しがち)

最後に、それらを上から俯瞰してみている平山さん。

3つめの視点については、このnoteのインタビューに出てくる平山さんの話が一番それに近いと思います。

参照:Wasei Salon透明化プロジェクト No.5 平山高敏|Wasei Salon|note

だからきっと、僕は平山さんのことが好きなんだろうなあと。

なんだか、抽象的な話になってしまいましたが、今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。

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